エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(15):「イオニアの華」の時期

ミレトスの支配権を得ており、さらに今回ミュルキノスに町を建設する許可をもらったヒスティアイオスは喜んでミュルキノスの城壁の建設を始めました。ところがそのことを聞いたペルシアの将軍メガバゾスがダレイオス王にこう進言しました。

「王よ、とても一筋縄ではゆかぬ有能なギリシア人にトラキアで町を建設することをお許しになるとは、なんということをなさいました。トラキアは船材や櫂の材となる樹木を豊富に産し、また銀山もございます。附近一帯にはギリシア人およびその他の民族が多数居住しており、これらはいったん指導者を得れば、その命ずるままに、日を夜についで行動いたしましょう。されば御領内で戦乱の起ることをお望みでないならば、あの男のいたしておることを中止させなさいませ。穏やかにこちらへ呼び寄せて、手を引かせるようにならすがよろしゅうございます。しかしいったん彼奴を手中にお収めになった以上は、彼奴が再びギリシアへ帰らぬようになさいませ。」


ヘロドトス著「歴史」巻5、23 から

ダレイオスはこの進言をなるほどと思い、さっそくミュルキノスにいるヒスティアイオスをサルディスに呼び寄せました。ヒスティアイオスがダレイオスの前にやってくるとダレイオスはこう切り出しました。

「ヒスティアイオスよ、そなたを呼んだ用件とはほかでもない。私がスキュティアから帰還し、そなたの姿を見ぬようになってからというものは、僅かの間ではあったが、そなたに会って話すこと以上に、切なる願いは私には他になかったぞ。それというのも、才智と誠心とを兼ね備えた友人こそ、あらゆる財宝のうちで最も貴重なものであることを私は覚ったからにほかならぬ。そなたがその二つの徳を兼備していることは、私が身をもって経験したところによって、立証できるのじゃ。
 そなたはよくぞ来てくれたな。そこで私からそなたに提案することがある。どうじゃ、ミレトスと、そなたがトラキアに新たに作った町のことは忘れ、その代り私とともにスサ(ペルシア王国の首都)へゆき、私の陪食をし、相談役ともなってくれぬか。スサでは、私の財産は一切、そなたの自由にさせてやろう。」


ヘロドトス著「歴史」巻5、24 から

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4a/Sphinx_Darius_Louvre.jpg


スサで出土したスフィンクスの壁画


  • スサの位置


このようにしてヒスティアイオスはスサに連れてゆかれたので、ヒスティアイオスはミレトスの支配権を従兄弟でもあり娘婿でもあるアリスタゴラスに譲りました。このアリスタゴラスがミレトスの支配権を握った頃、ミレトスは繁栄の時期にあり、イオニアの華と呼ばれていました。今回、イオニアの華と呼ばれる繁栄を象徴するような何か文化的な事象がないか調べてみたのですが、あまり見つかりませんでした。イオニアの華というのは実態を伴わない名称だったのでしょうか? ただひとつ私が見つけたのはヘカタイオスというミレトスの歴史家がこの頃活躍していた、ということです。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/04/MiletusIonicStoa.jpg



ミレトスの遺跡:イオニア式の柱廊



ヘカタイオスは、ヘロドトスに先行する歴史家で、ミレトスの富裕な家に生まれました。名前はギリシア神話の(謎の多い)女神ヘカテに由来するそうです(ちなみにヘロドトスは女神ヘラに由来しています。彼はミレトスではなくてその南にあるハリカルナッソスの出身です)。当時の世界を広く旅したのちに生まれ故郷のミレトスに定住し、神話学や歴史の本を執筆しました。代表作は「世界概観」という本で、今は伝わっていないのですが、2巻からなり、その1つはヨーロッパの、もう1つはアジアとアフリカの地理と住民についての情報を記しているそうです。その記述はジブラルタル海峡から始まり、ヨーロッパの地中海沿岸を東にたどり、ダーダネルス海峡を越えて黒海沿岸を時計回りに周り、再びダーダネルスから地中海に戻り、今度はアジアとアフリカの沿岸を西にたどり、ジブラルタルを通りモロッコの太平洋岸で終ります。ヘカタイオスは世界地図(右)も作りました。それはミレトス出身の哲学者アナクシマンドロスタレスの孫弟子です)が作成した世界地図を修正・拡大したものでした。