エーゲ海のある都市の物語:デロス島(6):キクラデス文明
では、イオニア人が到来する以前、デロス島に住んでいたのは何者なのでしょうか? 古代の歴史家でペロポネソス戦争(BC 431〜BC 404)の歴史を書いたトゥキュディデスは、それはカリア人であると言っています。
当時島嶼にいた住民は殆どカーリア人ないしはポイニキア人であり、かれらもまたさかんに海賊行為を働いていた。これを示す証拠がある。今次大戦(注:これはペロポネソス戦争のこと)中にデーロス島がアテーナイ人の手で清められ、島で死んだ人間の墓地がことごとく取除けられたとき判明したところでは、その半数以上がカーリア人の墓であった。これは遺体と共に埋められていた武器や、今日なおカーリア人がおこなっている埋葬形式から判った。
トゥキュディデス著「戦史」巻1、8 から
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ペロポネソス戦争の6年目であるBC 426年にアテナイは、デルポイの神託に従ってデロス島の「お清め」を行いました。具体的にはデロス島から人間の墓地が取り除かれたのです。それが図らずも古代における考古学的調査のような役割を持ってしまったようで、デロス島にあった墓の半数以上がカリア人の墓だったことが分かったというのです。カリア人については「ハリカルナッソス(3):カリア人」に少し書きました。彼らはギリシアの古典期には小アジアに住んでいた人々で、ヒッタイト人に近い民族のようです。カリア人がかつてエーゲ海の島々に住んでいたということを、トゥキュディデスの一世代前の歴史家ヘロドトスも述べています。彼はクレタ人の言い伝えとして以下のことを述べています。
カリア人は(中略)古くはミノス王(クレタの王)の支配下にあってレレゲス人と呼ばれ島に住んでいたのである。しかし彼らは、私が口碑を頼りにできるだけ過去に遡ってみた限りでも、貢物なるものは一切納めず、ミノス王の要求があれば、その度ごとに船の乗員を供給したのであった。ミノスは広大な地域を制圧し戦争では常勝の勢いであったから、カリア民族もこの時期においては、あらゆる民族の内で最もその名が轟いていたのである。
(中略)
その後ずっとたってから、ドーリス人とイオニア人とが彼らを島から逐い、かくして大陸(小アジア)へ移ってきたのであった。
ヘロドトス著「歴史」巻1、171 から
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ところで、上の引用ではカリア人をエーゲ海から追い払ったのはドーリス人(=ドーリア人)とイオニア人だとしていますが、トゥキュディデスの以下の記述では、ミノス王が追い払ったことになっています。
伝説によれば、最古の海軍を組織したのはミーノースである。かれは現在ギリシアにぞくする海の殆んど全域を制覇し、キュクラデス諸島の支配者となった。そしてカーリア人を駆逐し、自分の子供たちを指導的な地位につけて、島嶼の殆んど全部に最初の植民をおこなった。
トゥキュディデス著「戦史」巻1、4 から
この2つの記述を矛盾なく解釈しようとすると、(1)ミノス王が追い払ったのはカリア人の首長層の人々だけであって、一般人は島々に残っていた。(2)その後ドーリア人とイオニア人が、一般人のカリア人を追い払ったのがだった。ということになりそうです。
エーゲ海の考古学で以下のことが分かっています。イオニア人やドーリア人がエーゲ海に来る以前には、エーゲ海で支配的なのはミュケーナイ文明でした。この文明の担い手はアカイア人で、イオニア人やドーリア人と同じギリシア人に属します。
その前にはミノア文明が栄えていました。その中心地はクレタ島でした。この文明はギリシア神話に登場するクレタのクノッソスの王ミノスにちなんで「ミノア文明」と名付けられました。そしてミノス王の伝説にはミノア文明のかすかな記憶が残されている、と見られています。ミノア文明の担い手はギリシア人ではないことは確実なのですが、どのような民族なのか分かっていません。さて、ミノア文明の盛期にはキクラデス諸島からの出土品もミノア文明の影響がみられるとのことです(「ミノア人とミュケーナイ人」参照)。そうすると、上記のトゥキュディデスの引用がその頃のことを指しているように見えます(かれは現在ギリシアにぞくする海の殆んど全域を制覇し、キュクラデス諸島の支配者となった。そしてカーリア人を駆逐し・・・・)。
さらに歴史をさかのぼると、キクラデス諸島を中心とするキクラデス文明があったことが分かっています。これはカリア人の文明なのでしょうか? あまりに古くてよく分かりません(BC 3200年〜BC 2000年)。この文明の出土品には形態が非常に特徴的な彫像があります。右の写真はそのひとつです。キクラデス文明の彫像は、このように抽象的な形をしています。
さてここまで歴史をさかのぼると、デロス島はエーゲ海の最初の文明の発生地域の中に位置する、ということが分かります。のちに来たイオニア人は、ここに何か古代文明の匂いを感じ、それがここを神聖視する理由になったのかもしれません。