脳と機械をつないでみたら

SFのようなことが現実に研究されているというのはよく聞く話ですが、これもそのひとつです。脳と機械を接続する技術はエヴァンゲリオンを作るのには必須の技術ですね。

現実にどの程度のことが出来ているかを知って頂くために、この本の最初のほうで紹介されている実験の記述を引用します。なお、文中のBMIとはBrain Machine Interface(脳と機械のインタフェース)の略だそうです。

 BMIの最初の本格的な研究は1990年代の初期にハーネマン大学で始まり、1999年にチェービンとニコレリスにより発表された。それはラットを用いて行われ、運動野のニューロン集団の活動が表す運動情報を活用したBMIであった。
 まず小さな箱(オペラント・ボックス)の中に喉が渇いたラットを入れる。壁についているレバーをラットが押すとコントローラーのスイッチが入り、1滴分の水が入ったチューブが目の前に出てきて飲めるようになっている。簡単な訓練により、ラットは前脚でレバーを押すことでチューブを動かして水を飲むことをすぐに覚え、繰り返しレバーを押すようになった。ラットの脳の運動野にある前脚を制御する領域には、あらかじめ多数の電極が刺してあり、ラットがレバーを押すたびに、運動野にある数十のニューロンが発するスパイク、つまりニューロン集団の活動が検出されコンピュータに送り込まれた。そしてそれらニューロン集団の活動と前脚運動の対応をコンピューターで解析することにより、ラット前脚の動きを、実際にそれが動く前に、ニューロン集団の活動から予測できることがわかった。さらにその予測に基づき電気信号をコンピューターから出力し、水飲み用のチューブを制御しているコントローラーを動かした。つまり、ラットがレバーを押す直前に生じる運動野のニューロン集団の活動に応じてチューブが出るようにした。そしてレバーとコントローラーの接続を外してしまい、レバーが動いてもチューブは出てこないようにしてしまった。最終的に、レバーを押す直前に現れるニューロン集団の活動だけでチューブが動き、ラットが飲めるようにしたのである。
 このような状況で訓練を続けた4日目、オペラント・ボックスの中をのぞいたチェービンは思わず驚きの声を上げたという。ラットはもはやレバーを押しておらず、じっとしているにもかかわらず、水飲み用のチューブが繰り返し動いていた。ラットは自分の脳にあるニューロン集団の活動でチューブのコントローラーという機械を動かし水を飲んでいたのである。

私は正直に言って、このような研究を不気味に思います。脳とか意識とかの探求には興味もありますが、その探求の末に出てくるもの、可能になるもの、を想像すると恐ろしさを感じます。その感じをなかなか言葉にするのが難しいのですが、自分というものの根底を掘り崩されるような、存在論的な恐怖を感じます。
しかしこの本自身はバランスのとれた良書です。マッドサイエンティストを思わせるものは何もありません。この本を読んで技術の進歩にわくわくする人もきっといることでしょう。この本にはこの技術の社会的な側面や悪用の危険性への警告も言及されています。


私の上記の懸念については以上で述べ終えるとして、上の記述を読んだ時に私はいくつもの疑問が出てきました。一つは、脳の中での情報表現が分かったのか、この実験に即して言えば「ラットがレバーを押すという意思」がニューロンの活動として読み取ることが出来るのか、という点です。この点に関しては統計的な処理によってある程度は読めるようになったが、その読み取りも不安定であり、人間が考えていることをクリアに読み取るようなことは出来ないようです。
もう一つは、脳の中にはたとえ小さなエリア内でも膨大な数のニューロンが存在するのに、信号を検出するニューロンをどうやって選んだのか、という点です。膨大な数のニューロンの活動を全て読み取ることは今の技術ではとても出来ません。この実験はいくつかのニューロンに電極を付けただけなのですが、それでも読み取ることが出来ました。なぜこのようなことが可能だったかの理由は、脳では1個1個のニューロンの活動よりも、集団としてのふるまいのほうが大切らしい、ということです。そして脳内の情報は集団的、確率的に表現されているらしい、ということだそうです。そのため、集団内のいくつかのニューロンを測定するだけで集団全体の活動をある程度推定出来るということです。もちろん、測定するニューロンの数を増やせば増やすほど情報の精度は高くなっていきます。


この本を読んで感じたのは、現在の技術がすばらしいので脳と機械との通信が可能になったというよりも、むしろ、脳が非常に柔軟なため、現在の荒っぽいインタフェース技術にも脳がうまく対応してくれる、ということです。この本の副題にある「BMIから見えてきたもの」というののひとつの意味はBMIによって脳の不思議さ、高度の柔軟さが見えてきた、ということだと思います。BMIによって脳の謎はより深まったようです。集団的に情報を表現し、活動する仕方や、そして一部が損傷しても別の部分で代行する柔軟性は、まだまだ人間の理解を越えているようです。


この本は、BMIを中心に、それが脳科学に与える意味や、研究の実態やあり得べき研究体制や、倫理面の問題提起など、多方面から全体像を明らかにした良書だと思います。欲を言えば、題名がもう少し良かったら、と思いました。この本はこれで価値があるのですが、このような技術に直面しての「私とは何か」というような哲学的な議論を別な本で読みたいと思いました。