2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
フェニキアの王アゲノルにはポイニクス、キリクス、カドモスという3人の息子と、エウロペという娘がいました。このエウロぺが美しい少女へと成長した時に、神々の王ゼウスがオリュンポス山の頂にある神々の宮殿から地上を眺め渡し、彼女に目を止めたのでし…
ドーリス人がペロポネソス半島に侵入した時の話です。ペロポネソスのスパルタを手に入れたのはヘラクレスの後裔アリストデモスでした。彼はアルゲイアをめとってエウリュステネスとプロクレスの双子を得ましたが、子供たちがまだ幼いうちに死んでしまいまし…
今度は、キクラデス諸島の南部、ドーリア人の島テラを取り上げることにします。 古典期ギリシアの方言の分布図。デロス島とテラ島では方言が違う。デロス島はイオニア方言、テラ島はドーリス方言 キクラデス諸島のドーリア人の島としてはほかにメロス島(ミ…
デロス島が一番繁栄したのは、これよりあと、アレクサンドロス大王が若くして死んで、その帝国が後継者たちによって分割され、互いに覇を争っていたヘレニズム時代と、西方からやがて勢力を増してきたローマに支配され始めた時代でした。今、残っている遺跡…
「(6):キクラデス文明」でも少し触れましたが、このペロポネソス戦争の6年目(BC 426年)にアテナイによるデロス島の「お清め」が行われています。 同冬、アテーナイ人は神託の命ずるところと称して、デーロス島の清めをとりおこなった。この趣旨の清め…
次の話でもデロス島は場所としての役割しか果たしていません。その話というのはペルシア戦争ののちアテナイが組織したデロス同盟の話です。 さて、エーゲ海の東岸、つまり小アジア側までのギリシア都市がペルシアの支配を離脱できるまでになったのは、スパル…
さて、ダレイオス王の息子で次代のペルシア王になったクセルクセスはBC 481年、2度目のギリシア侵攻を実行します。今度は前回よりも大規模な軍勢で、海岸沿いの陸を進む陸軍と、海岸沿いの海を進む海軍の2段仕立でした。今回は軍勢が大陸の海岸沿いを伝っ…
ダティスがデロスの海域から去ったのち、デロスに地震があったとデロスの住民は伝えている。そしてデロスにおける地震は今日に至るまで、これが最初であり最後であったという。(中略) ペルシア軍はデロスを去って後、次々に島に接岸してそこから軍兵を徴用…
ではイオニア人到来以降のことを書いていきます。 キクラデス諸島のすぐ北にはエウボイア島という大きな島がありますが、BC 710〜BC 650年頃に行われた、エウボイア島にある2つの町、カルキスとエレトリアの間の戦争、いわゆるレラントス戦争にデロス島は巻…
では、イオニア人が到来する以前、デロス島に住んでいたのは何者なのでしょうか? 古代の歴史家でペロポネソス戦争(BC 431〜BC 404)の歴史を書いたトゥキュディデスは、それはカリア人であると言っています。 当時島嶼にいた住民は殆どカーリア人ないしは…
伝説ではトロイア戦争が終わって80年目に、ヘラクレスの後裔を称する人々に率いられたドーリス人が北からペロポネソス半島に侵入して、そこに住んでいたアカイア人を追い出し、さらにアカイア人がイオニア人を追い出し、イオニア人は一旦アテナイに避難した…
この「エーゲ海のある都市の物語」は、取り上げた都市について、伝説と歴史の交じり合う時代からギリシア古典期までの話を紹介する意図で始めたのですが、デロス島については古典期の歴史の話があまり見つかりません。アポロンの聖地だけに神話伝説について…