2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(12):ヘロドトス(2)

ヘロドトスの生涯については、岩波文庫の「歴史」の(下)で、訳者の松平千秋氏による解説の中に書かれていましたので、(昭和47年=1972年 と古いですが)それを抜粋して紹介します。 (一)ヘロドトスの生涯――その生涯について知られるところは極めて少ない…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(11):ヘロドトス(1)

私の「エーゲ海のある都市の物語」の元ネタのほとんどはヘロドトスの「歴史」という本です。この話題でいかにもいろいろ知っているようにブログに記事をアップしていますが、この本がなければほとんど何も書けません。 そのヘロドトスはハリカルナッソスの出…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(10):サラミスの海戦以後

クセルクセス自身は戦いに参加せず、アイガレオス山の麓に玉座を据えてこの海戦を観戦していたのですが、自分の軍の負けを悟ると、一刻も早くギリシアから撤退したいと思うようになりました。その様子を見ていた将軍のマルドニオスは、 王にギリシア遠征を説…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(9):サラミスの海戦

その後のサラミスの戦いの状況は、アイスキュロス作のギリシア悲劇「ペルシアの人々」の中で、敗戦をペルシアの首都スサに伝える一人の使者の言葉として、叙述されています。この悲劇が上演されたのは、この海戦から8年後のことです。その上演を見るアテナ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(8):アルテミシア(2)

さて右の全部隊がアテナイ地区に達したとき(中略)クセルクセスは水軍の将士たちと接触しその意見を知りたく思い、自ら船団を訪ねた。クセルクセスが到着して最上席に坐ると、船団からは召しに応じて各国の独裁者と部隊長が参集し、王の定めた序列に従って…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(7):アルテミシア(1)

BC 499年のイオニアの反乱にハリカルナッソスは参加していなかったようです。ヘロドトスの記述にはハリカルナッソスだけでなく、近隣のドーリス人の町の名前すら登場しません。ただ近隣のカリア人は反乱に参加し、一度はペルシア軍を殲滅しています。それで…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(6):エジプトの傭兵としてのギリシア人

ハリカルナッソス人がエジプトに行って傭兵になるようなことが始まったのはいつなのでしょうか? これについて答を見つけられませんでしたが、近くのロドス島の住民はすでにプサンメティコス2世の時代(BC 595-589)に傭兵としてエジプトに行っていたようで…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(5):傭兵隊長パネス

ペルシアの2代目の王カンビュセスの治世の頃の話です。当時、カンビュセスはエジプト征服を企んでいましたが、当時のエジプト王はアマシスでした。 さて、アマシスは、ギリシア人とカリア人を傭兵として重用していました。エジプトがギリシア人とカリア人を…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(4):リュディアとペルシアへの服属

ハリカルナッソスの初めの400年ぐらいの歴史は皆目分かりません。どんな王が君臨していたのか、レラントス戦争には参加したのか、政治体制はどう変わっていったのか、キンメリア人の侵攻を受けたのか、ネットを調べても本を読んでも分かりませんでした。そこ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(3):カリア人

ハリカルナッソスではギリシア人だけでなくカリア人の社会もあるのでした。これはその町の成り立ちに原因があるかもしれません。 ハリカルナッソスの建設はミュティレネの成り立ちに似ていて、最初は本土にほど近い小島をギリシア人が占拠します。この島はゼ…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(2):ハリカルナッソスの建設

ハリカルナッソスの起源について英語版のWikipediaは以下のように書いています。 ハリカルナッソスの建設はさまざまな伝承の間で議論されているが、それらは、ハリカルナッソスがドーリア人の植民市であるという主要な点については意見が一致しており、その…

エーゲ海のある都市の物語:ハリカルナッソス(1):ドーリス人の植民

古代、エーゲ海に拡がっていったギリシア人は北から南へ順に、アイオリス人、イオニア人、ドーリス人、の3つの種族に分かれていました。これまでイオニア人の都市ミレトスとアイオリス人の都市ミュティレネの物語を書いてきたので、今度はエーゲ海のギリシ…