2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
この頃のテラについて、ギリシア側の伝承は何かないのでしょうか? まず思いつくのはヘロドトスが記している以下の記事です。 現在テラと呼ばれている島は、以前はカリステと呼ばれていたがこれは同じ島で、当時はフェニキア人ポイキレスの子メンブリアロス…
このテラに関する物語の最初で昔テラが大きな島であって、それが火山の大爆発によって今の形になったという話を紹介しました。この大爆発の時にまだテラにはギリシア人は来ていませんでした。その爆発は最近の説ではBC 1628年に起こったと推定されています。…
BC 6世紀、テラはギリシア本土のアテナイやコリントスと、エーゲ海東岸のイオニア地方あるいはそれに近いロドス島、とを結ぶ貿易の中継点として栄えました。BC 515年にスパルタの王子ドリエウスがリビアに植民市を拓こうとした時にその水先案内人を務めたの…
さて、キュレネが繁栄したため、この植民の物語はハッピーエンドで終わっているように見えますが、仔細に見ていくとなかなか深刻な状況だったように見えてきます。 たとえば、前回の「テラ(5):バットス 」で、リビアを偵察するためにプラテア島に向かっ…
テラではその後、街づくりが順調に進んでいったようです。残念ながらテラスの一行がテラを建設して(BC 9世紀と推定されています)からBC 630年頃までの出来事は今に伝わっていません。そこで話をBC 630年頃まで進めます。この頃、テラではテラスの子孫であ…
テラスがテラに植民したところに話を戻します。 テラスはこの時、スパルタで政府に反抗していたミニュアイ人たちを一緒に連れていきました。ミニュアイ人というのはオルコメノスやという町を拠点とする人々のことですが、アルゴ号の乗組員(ギリシア語でアル…