エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(14):ダレイオスの退却

スキュタイ人の言う通り、橋を破壊してイオニアを解放しようと主張したのはケルソネソスの僭主ミルティアデスでした。ケルソネソスは今のガリポリです。

一方、それに反対したのはミレトスの僭主ヒスティアイオスでした。

自分たちがそれぞれ自国の独裁権を握っておられるのはダレイオスのお陰である、ダレイオスの勢力が失墜すれば、自分もミレトスを支配することができなくなるであろうし、他の者たちも一人としてその地位を保つことはできまい。どの町も独裁制より民主制を望むに相違ないからだ、というのが彼の主張であった。
 ヒスティアイオスがこの意見を述べると、それまではミルティアデスの説に賛成であった全員がたちまちヒスティアイオスの意見に傾いてしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻4、137 から


ケルソネスのミルティアデスは僭主と言っても3代目であり、別にダレイオスのお陰でその地位にあるわけでもないのでヒスティアイオスには賛成出来ないのですが、その他の僭主たちはヒスティアイオスの意見に賛成し、それから相談して姑息な行動をとることにしました。すなわち、橋のスキュティア側の部分だけを、それも弓の射程内にある部分だけを破壊することにしたのです。これは実際には破壊していないのに破壊したかのように見せかけるためでもあり、また、万一スキュタイ人が強引に橋を渡ってイストロスを渡河しようとするのを防ぐためでもありました。このように話をまとめるとヒスティアイオスは一同を代表してスキュタイ人にこう返答しました。

「スキュタイ人諸君、そなたらは良い知らせをもってきてくれたし、また好い折に駆けつけてくれた。そなたらがわれらに有益な指針を与えてくれるのに対し、われらもまたそなたたちに十分尽くしたい。御覧のごとく、われわれはいま橋を破壊しているところで、自由の身になりたい一念で、これらかも懸命に努力するつもりでいる。そこでわれわれがこうして橋を壊している間に、そなたらは彼らを探し、見付けたならばわれらのためにもそなたら自身のためにも、彼らの受くべき報復を加えてやる絶好の機会なのだ。」


ヘロドトス著「歴史」巻4、139 から

スキュタイ人たちはヒスティアイオスのこの言葉を真に受けてペルシア人の捜索に戻っていきました。ところが今度はスキュタイ人がみずから行った焦土戦術が自分たちを縛ることになってしまいました。というのは、水源を埋め、草を根絶やしにしたために、そういった地域にスキュティア人が踏み込むことが出来ず、捜索可能な地域が限られてしまったからです。そうこうしているうちにペルシア軍は辛くも渡河点を発見したのでした。

ペルシア軍がここに着いたのは夜で、しかも橋が破壊されているのを見た彼らは、イオニア人が自分たちを置き去りにしたのではないかと、非常な恐怖に襲われた。
 さてダレイオスの側近に仕えるものの中に、世にも大きな声をもったエジプト人がいた。ダレイオスはこの男をイストロスの河辺に立たせて、ミレトス人ヒスティアイオスの名を呼ばせたのである。エジプト人が命のとおりにすると、ヒスティアイオスはただ一度聞いただけでその命に服し、遠征軍を渡河させるために全艦船を廻し、橋もかけ直した。
 こうしてペルシア軍は虎口を脱したのであったが、スキュタイ人はペルシア軍を探し求めながらまたしてもこれを発見し損ねた。スキュタイ人の判断によれば、イオニア人は自由民としては世界中に例のない卑怯未練な民族であるが、奴隷として評価する限り、またこれほど主人思いで逃げる気の少ない奴隷もないという。これがスキュタイ人のイオニア人に加えた酷評である。


ヘロドトス著「歴史」巻4、139 から


ヒスティアイオスはこの功により、ダレイオスから恩賞としてトラキアのストリュモンという川のほとりのミュルキノスという土地を授けられました。一方、橋を破壊しようと提案したケルソネソスの僭主ミルティアデスはのちにペルシア配下のフェニキア海軍によって攻撃されることになりました。ミルティアデスはこの時、財産を船に詰め込んでアテナイに逃走します。その後、ミルティアデスはアテナイで活躍するのですが、ミレトスの話から外れますので、ここでは述べません。