アイオリス人の植民

エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(3):アイオリス人の到来」を書く前に見ておけばよかったという記事を英語版のWikipediaの「First Greek colonisation(第一次ギリシア人植民)」の記事の中に見つけました。以下はその拙訳です。

アイオリス人の植民活動

ドーリア人のペロポネソスへの移動と同じ時期に、他の部族もギリシア本土内部で独自の移動を実行した。テッサリア人は、最初に現れたテスプロティアの領域から、テッサリアに移動し、それまでそのエリアに住んでいたアイオリス方言の部族と交代した。テッサリア人の定住前にテッサリアに住んでいたこれらの部族の中にはボイオティア人がおり、彼らは南に移動してボイオティアのエリアに定着した。テッサリアの他の人々とボイオティアのかつての住民は、その領土を失ったあと北東エーゲ海の領域に逃れ、最初、レスボスとテネドスとモスコネシ諸島(香水諸島)に定着した。これらの住民は後世、移住に参加したテッサリア部族の名前から代わってアイオリス人と呼ばれた。次にアイオリア人は小アジアの対岸に植民し、そこはアイオリスと名付けられた。ヘロドトス小アジアのこの地域にある12の市の建設について物語っている。それらは以下のものである。アイガイ、アイギロエッサ、グリュネイオン、キラ、キュメ、ラリッサ、ミュリナ、ネオンテイコス、ノティオン、ピタネ、スミュルナ、テムノス。BC 7世紀にアイオリア人はトロアド地方にも広がり、ガルガラ・アッソス、アンタンドロス、ケブレ、スケプシス、ネアンドレイア、ピテュアを建設した。アイオリス方言話者に従ったペロポネソスアカイア人はアイオリス人の再定住に参加した。受け入れられた伝説は、オレステスをアイオリス人の移住の扇動者として記録し、ミュティレネの王族ペンティリダイはオレステスの後裔を主張した。