これは、アイギナとアテナイがどうして敵対関係になったかという話です。この話は、アイギナがエピダウロスから独立する前の頃から始まります。
エピダウロスが穀物の不作に悩んでいたことがあった。そこでエピダウロス人は、この天災についてデルポイの神託を伺ったのである。巫女はダミア、アウクセシア二女神の神像を奉安せよと告げ、そうすれば事態は好転しようといった。そこでエピダウロス人が、神像は青銅製にすべきか、それとも石材を用いるべきかと訊ねたところ、巫女はそのどちらも宜しからず、栽培したオリーヴの材を用いよと告げた。そこでエピダウロス人は、アテナイのオリーヴ樹が最も神聖なものと考えていたので、アテナイに対しオリーヴの樹を一本伐採させて欲しいと頼んだのである。一説によれば、当時はまだアテナイ以外には世界中どこにもオリーヴの樹はなかったともいう。アテナイ側では、エピダウロスがアテナ・ポリアスとエレクテウスに毎年犠牲を供えるという条件で許可しようと答えた。エピダウロス人はこの条件を受諾して望みのものを手に入れ、このオリーヴの材で神像を造り、これを奉安したのである。かくてエピダウロスでは五穀が実り、エピダウロス人はアテナイに対して協定したとおり実行したのである。
ヘロドトス著「歴史」巻5、82 から
- 作者: ヘロドトス,松平千秋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1972/01/17
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上記の引用に登場する「巫女」とは「デルポイの巫女」のことで、デルポイにあるアポロン神の神託所で神託を人間に伝える役割を持つ巫女です。したがってこの巫女の語ることはアポロン神が語ることとみなされていました。また、「ダミア」と「アウクセシア」はあまり有名ではない女神ですが、ともに豊穣の女神だということです。一説にはこの女神たちはかつては人間の女性で、クレタ島の出身で友達同士だったといいます。それがどういうわけなのか、トロイゼンという町に来た時に町の騒乱に巻き込まれて殺されてしまったというのです。その2人を女神として祭ったというのですが、話が断片的でよく理解できません。
さてアイギナは、それ以前から当時に至るまでエピダウロスに従属しており、アイギナ人は自分たちの間の訴訟事件も、エピダウロスへ出かけて行って処理してもらっていたのである。しかしこの頃から多数の船を建造し、浅慮な自負心に駆られ、エピダウロスから離反してしまった。アイギナはエピダウロスとの間が不和になると、制海権を利してエピダウロスの領土を荒らしたが、遂には右に述べたダミアとアウクセシアの神像をエピダウロスから奪うことまで敢えてした。奪った神像をもち帰り、自国領の中央部、町から二十スタディオンほどはなれたところにあるオイエという場所に据えて祀った。
神像が盗まれてからは、エピダウロスはアテナイとの協定を履行しなくなった。アテナイは使者を送って憤怒の意を伝えさせたが、エピダウロス人は自分たちの行動には過ちはない所以を説明した。すなわち、自分たちは神像が自国内にあった間は、約束を果していたのである、神像が奪われた後もなお犠牲を送らねばならぬというのは筋が通らない、むしろ現在神像を保有しているアイギナに、その義務を果たさせるがよいといったのである。
そこでアテナイはアイギナに使者を送り、神像の返還をせまったところ、アイギナはアテナイと関わり合いになる筋は何もない、と突っぱねてしまった。
ヘロドトス著「歴史」巻5、83、84 から
このあとの話はアテナイ側とアイギナ側で主張が異なっていて錯綜しているので、アイギナ側の主張に基づいて、かいつまんでご紹介します。
アテナイは船を連ねて神像奪還のためにアイギナに寄せてきました。アイギナ側は事前にアルゴスに助力を頼んであり、アルゴスの兵はこのときまでにアイギナ島に到着しておりました。そこで、アイギナとアルゴスの兵は物陰に隠れてアテナイ人たちの行動を監視しておりました。アテナイ人たちは、誰一人抵抗してこないので、船を下りて神像の安置してある場所へ向いました。神像に綱をかけて引いたところ、不思議なことが起きたといいます。神像が、引いていくアテナイ人の前に膝をついたのだそうです。それからこの2つの神像は膝をついた姿勢のままになったのだといいます。ここで、アイギナ勢とアルゴス勢はアテナイ人たちに不意に攻撃をかけました。また、この時に、雷鳴と地震が起ったのだともいいます。アテナイ側は一人を残して全滅してしまい、その一人だけが何とか逃れてアテナイに帰国しました。
このことがあってからアイギナとアテナイは互いに不和になったのだということです。