平家物語(若い人への古典案内)

平家物語―若い人への古典案内 (1968年) (現代教養文庫)

平家物語―若い人への古典案内 (1968年) (現代教養文庫)

これは平家物語のダイジェスト版です。日本人であるからには平家物語の内容を少しは知っておかねば、という気持ちで買いました。10年前のことです。ところが、この本自体はもっと古くて1968年の発行です。著者は

一、本書は主として高校生諸君を読者対象として想定したものである。

とおっしゃるが、1968年の私は小学生です。その頃の高校生は今の55歳前後でしょうか。そのせいか今読むと、ちょっと文に古臭いというか、もったいぶった感じがします。それを除けば短時間で平家物語のあらすじを知るには手頃な本です。


今回読み直して感じたのは、平家物語には意外な明るさ健康さがあるというものです。滅び行く平家には哀切という形容詞がつきそうな叙述がなされていますが、東国勢(源氏)で働く武士たちには、まだしゃちほこばっていない(権力のにおいのしない)明るさをもって描かれた部分があります。
たとえば「宇治川の先陣」のところ

 この二騎につづいて、畠山次郎重忠が五百余騎で押し渡る。ところが川の真ん中で、畠山は馬の額を敵の矢に居られたので、馬から降りて、弓を杖のかわりにつき、水底をくぐって対岸へ着いた。さて上がろうとすると、後ろから腰に抱きつく者がある。
「だれか!」
「重親(しげちか)。」
「大串次郎重親か!」
「はい。さようで。」
大串重親は畠山重忠が仮り親となって烏帽子をつけてやった仲である。
「どうかしたか。」
「はい、あまりに水が速いによって馬を押し流され、ようやくここまでたどり着きました。」
と、あわれな声でいう。畠山次郎重忠は有名な大力の持ち主だ。
「ええい、あわれな声を出すな。それ、助けてやるぞ!」
と言いざま、重忠は大串を右手にひっさげて、ぽいとばかりに岸へ投げ上げた。
 投げ上げられて大串はぴょこんと立ち直り、さて何をするかと思うと、太刀を抜き、大音声をあげて、
「武蔵の国の住人、大串次郎重親、宇治川歩きの先陣ぞや!」
と名乗ったのではないか。これには敵も味方も、どっとばかりに笑い出した。

この大串重親の調子のよさ。
この同じ畠山重忠は「ひよどり越え」では自分の馬を担いで坂を降りたことになっている。あなた、いくら昔の日本の馬は小さかったとはいえ、それはないでしょう、と思ってしまいます。
このような明るさが出てくるところが、妙に気に入りました。