宮沢賢治詩集

私の持っているのは旺文社のずっとずっと昔に発行された本で昭和46年の発行のものです。中学生の当時は「真空溶媒」のような賢治の独特な幻想性に魅かれていましたが、今、パラパラと読み返すと妹を亡くした悲しみと死への恐怖がまざまざと表れている「青森挽歌」にどうしても目がいってしまいます。
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いや、そんなことはない。中学生の当時もこの詩は私の心の奥にしっかり刻印を押していました。ただ、それを自覚しなかっただけでした。
一方には法華経の信仰があり、もう一方では唯物論的な考えがあり、その両者の間で賢治の心は激しく揺れています。それは、私には人ごとのように思えない感情です。

けれどもとし子の死んだことならば
いまわたくしがそれを夢でないと考へて
あたらしくぎくっとしなければならないほどの
あんまりひどいげんじつなのだ
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども


「青森挽歌」より

そう詠う賢治は実際、気が狂いそうだったのだろう、何度も何度もそれは襲ってきたのだろう、そんなことを思います。

いもうと、とし子が天上界に行ったと一方で思いながら、唯物論的な、死は虚無である、という懸念が、意地悪く何度も、恐ろしい考えを賢治にささやきます。

    <<おいおい あの顔いろは少し青かったよ>>
だまってゐろ
おれのいもうとの死顔が
まっ青だらうが黒からうが
きさまにどう斯う云はれるか
あいつはどこへ堕ちようと
もう無上道*1に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
ぢきもう東の鋼もひかる
ほんたうにけふの・・・きのふのひるまなら
おれたちはあの重い赤いポムプを・・・・
    <<もひとつきかせてあげよう
     ね じっさいね
     あのときの眼は白かったよ
     すぐに瞑りかねてゐたよ>>


「青森挽歌」より


そのあとで賢治は

みんなむかしからのきょうだいなのだから
けっしてひとりをいのってはいけない

と詠い、宗教性のほうへと進んでいくのですが、読んでいる私は相変わらず、この不安な気持の場所に留まったままでした。

*1:悟りの境地