アレクサンドリア四重奏

アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ

アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ

めったに小説を読まない私が、何の気の迷いか、図書館からロレンス・ダレルアレクサンドリア四重奏」の第1巻「ジュスティーヌ」を借りてきた。現実を全体的に感じさせるような長い小説を読みたくて、しかしいつもそのような小説を読む根気がなくて挫折することを今まで繰り返していた。この本を読み出す時も、途中で投げ出すかも、という懸念が何度も浮かび上がった。しかし、30ページまで読み進んでいった時に以下の叙述にぶつかって、私のこの本に対する姿勢が変わってしまった。

彼女が軽く呼吸しながらぼくのそばに横たわり、大きな目で天使の舞う天井を見つめているときに、ぼくは言った。「貧乏な学校教師とアレクサンドリア社交界の女の恋愛なんて、どうにもなりはしないよ。ありきたりのスキャンダルに終って、二人だけ取り残されて、ぼくをどう始末したらいいか決めるのがきみの仕事になるなんて、つらいことだろうな」ジュスティーヌは真実を聞くのがきらいだった。彼女は片肘をついて向き直り、あのすばらしい苦しげな眼ざしをこちらに向け、長いあいだぼくの目を見つめていた。「ここには選ぶ自由なんてないの」 彼女はぼくがとても好きになっていたあのしゃがれ声で言った。「あなたはまるで選ぶ自由があるような話し方をしている。わたしたちは選択できるほど強くもないし、悪人でもない。これはみんななにか別な存在が決めた実験の一部。それがこの町なのか、わたしたちのなかの別な部分なのかはわからないけれど」


私の心にわきあがるこの感情は何なんだろう? 私にはこのような経験はないはずなのに、なぜ私はこれを再認したのだろう? 遠い記憶がよみがえり、その時の気持ちを思い起したかのように。しばらく私の現実は変容してしまった。


「ここには選ぶ自由なんてないの」というジュスティーヌの「ここ」とはもちろんこの小説の舞台であるアレクサンドリア。「五つの種族。五つの言語。十にあまる宗教。」と著者が叙述する混沌の町。私にはこの都市が、(この小説が叙述するような)第一次大戦と第二次大戦の戦間期のエジプトのアレクサンドリアではなく、もっとSF的な、情報が氾濫し、そしてそのために何が真実なのかが分からない、近未来の都市のように思える。


そう、彼女の言うように私たちは別に悪人でもない・・・・・