- 作者: ロレンス・ダレル,高松雄一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/03/17
- メディア: 単行本
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彼女が軽く呼吸しながらぼくのそばに横たわり、大きな目で天使の舞う天井を見つめているときに、ぼくは言った。「貧乏な学校教師とアレクサンドリア社交界の女の恋愛なんて、どうにもなりはしないよ。ありきたりのスキャンダルに終って、二人だけ取り残されて、ぼくをどう始末したらいいか決めるのがきみの仕事になるなんて、つらいことだろうな」ジュスティーヌは真実を聞くのがきらいだった。彼女は片肘をついて向き直り、あのすばらしい苦しげな眼ざしをこちらに向け、長いあいだぼくの目を見つめていた。「ここには選ぶ自由なんてないの」 彼女はぼくがとても好きになっていたあのしゃがれ声で言った。「あなたはまるで選ぶ自由があるような話し方をしている。わたしたちは選択できるほど強くもないし、悪人でもない。これはみんななにか別な存在が決めた実験の一部。それがこの町なのか、わたしたちのなかの別な部分なのかはわからないけれど」
私の心にわきあがるこの感情は何なんだろう? 私にはこのような経験はないはずなのに、なぜ私はこれを再認したのだろう? 遠い記憶がよみがえり、その時の気持ちを思い起したかのように。しばらく私の現実は変容してしまった。
「ここには選ぶ自由なんてないの」というジュスティーヌの「ここ」とはもちろんこの小説の舞台であるアレクサンドリア。「五つの種族。五つの言語。十にあまる宗教。」と著者が叙述する混沌の町。私にはこの都市が、(この小説が叙述するような)第一次大戦と第二次大戦の戦間期のエジプトのアレクサンドリアではなく、もっとSF的な、情報が氾濫し、そしてそのために何が真実なのかが分からない、近未来の都市のように思える。
そう、彼女の言うように私たちは別に悪人でもない・・・・・