意識の不可解さについて  「ロボット考学と人間」森政弘著から

森正弘氏はロボット工学の先駆者であり、ロボコンロボットコンテスト)の創始者でもあり、(これはこの本を読むまで知らなかったのですが)「不気味の谷現象」の発見者でもあるという方ですが、一方では仏教教理にも明るい不思議な人です。この本は「ロボコンマガジン」という雑誌に連載されていたものをまとめたものですが、いろいろ深く考えさせる箇所が多いです。この本を見た時に最初に目を引き付けられた箇所を引用します。

 さらに大森*1からは、このような主張も出ている。

 脳の生理学の発達にともなって、「脳の中のこことこことがこうなった時に、こういう気持ちが生じる」という対応は、ますます精細に判明してくるはずで、いずれその対応表は膨大なものとなり、非常に部厚な辞書にも匹敵するようなものになるであろう。しかし、それがどんなに精細で膨大なものになったとしても、それは脳細胞という物質が、どうして精神という物質でないものを生み出すかという理由にはならない。

ここで非常に大事な、また明確にしておきたい点は、その大きな辞書のような対応表は、脳神経がこうなった「時に」を表すだけであって、脳神経がこうなった「から」という理由を示すわけではないということである。意識について最も不可解な点はここなのである。


「ロボット考学と人間」森政弘著の「2.3 意識とロボット」から

この文章を見た時に、私が長年疑問に思っていながらうまく言えなかったことを、明確に書き表してもらったような気がしました。

*1:大森荘蔵。哲学者