サルディスの陥落があり、その後のペルシア王国によるイオニア地方平定において2つの町の住民だけが祖国を離れました。テオスの町では全市民が船に乗り込み、海路トラキア(現在のギリシア北東部)に向い、そこにアブデラという町を建てました。ヘロドトスによればこの町は以前にもテオスの近くのクラゾメナイの住民によって植民されたことがあったのですが、トラキアの原住民の襲撃にあい、町は放棄されたそうです。今回、テオス人によってその町を再興させたかたちになります。
アブデラの位置を地図で示しますと、もう、地図のぎりぎりのところになります。
また、ポカイアの場合は逃げたのは市民の半数以下でしたが、もっと遠くに逃げました。ポカイア人はギリシア人の中では遠洋航海の先駆者であるだけあって、なんとコルシカ島まで逃げていきました。それは、この時よりさかのぼること20年前にポカイア人がコルシカ島に建設したアラリアという町があったからです。しかし今回の避難民が入植してから5年目にエトルリア人とカルタゴ人との連合軍とアラリアとの間に戦争が起り、かろうじてそれに勝利したもののあまりに勝利の代償が大きかったので、アラリアを放棄して、イタリア半島の南端のレギオン(今のレッジョ)に移動しました。そしてそこを根拠地としてエレア(イタリアのヴェーリア)の町を建設しました。
さて、タレスが死んだのはこの頃のようです。ひょっとしてペルシアによるイオニア平定の動乱に巻き込まれてのことなのか、と私は最初思いました。あるいは、自分の建言が受け入れられず、そのためにイオニアの町々がペルシアに征服されていくのを見て悲しみのあまりに生きる気力をなくしたのか、とも思いました。しかし、そのようなことをうかがわせるような記述を私は見つけることが出来ませんでした。ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」
- 作者: ディオゲネス・ラエルティオス,加来彰俊
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の「アナクシメネス」の項にはタレスの孫弟子だったアナクシメネスの手紙が収録されています。その手紙によると、タレスは星の観測をしている時に誤って崖から落ちて死んだ、ということになっています。とはいってもディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」の中の手紙は信用がおけないものが多いそうなので、おそらくこの手紙も偽作だと思います。ちょっと気になるのは、タレスの弟子だったアナクシマンドロスはタレスより14歳ぐらい若かったのですが、彼もタレスと同じ頃に亡くなっていることです。師匠と弟子が同じ頃に亡くなるとは何かあったのでしょうか。
それはともかく、このようにミレトスにはタレスを始めとして、アナクシマンドロス、アナクシメネスと続く学派、世に言うミレトス学派が成立していました。
また、上の話に登場したアブデラにはやがて「人間は万物の尺度である」と唱えるプロタゴラスや、原子論を唱えたデモクリトスが登場します。また、エレアには独特の存在論を提唱したパルメニデスや「アキレスは亀に追いつかない」というゼノンのパラドックスで有名なゼノンが登場します。確証はないのですが、タレスを生んだようなイオニアの知的な環境がサルディスの陥落という大事件の余波として各地に広まっていったのではないか、と想像します。ギリシアの知的な夜明けを感じさせます。