エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(21):ミレトスの陥落

さて、ペルシア海軍の主力であるフェニキア艦隊がイオニア軍に接近し、戦いの火蓋が切られました。ヘロドトスは、どの町の部隊が奮戦し、どの町の部隊が戦わずに逃走したのかを述べていますが、肝心のミレトス部隊がどう戦ったのかについては、なぜか述べていません。自分の町がペルシア陸軍の包囲され、その目の前の海で戦うのですから卑怯な振る舞いはしなかったと思うのですが、何も書かれていません。ヘロドトスはこうも書いています。

この海戦においてイオニア軍のどの部隊が卑怯な振舞いをし、どの部隊が勇敢に戦ったのか、正確に記すことが私にはできない。各部隊が互いに罪のなすり合いをしているからである。


ヘロドトス著「歴史」巻6、14 から

ミレトス部隊の働きについては正反対の話が伝えられていて真相が分からなかったために記さなかったのかもしれません。では、ヘロドトスの記している内容に私自身の想像を交えて、海戦の様子を述べてみます。


イオニアの軍船は、一列横隊でフェニキア艦隊を迎えました。最左翼はミレトス艦隊80隻、最右翼はサモス艦隊60隻、中央はキオス艦隊100隻、その間に他の都市の艦隊が位置する隊形でした。まずサモス艦隊が戦線を離脱してサモスに帰ってしまいます。しかしその中の11隻はサモス艦隊司令官の離脱命令に逆らい、戦線に踏みとどまりました。サモス艦隊の隣に位置していたレスボス艦隊70隻はサモスの離脱を見ると自分たちも戦線を離脱しました。これだけで353隻のうち119隻が離脱したことになります。レスボス艦隊の隣はポカイア艦隊3隻です。たった3隻しかありませんが司令官ディオニュシオスは少し前まで全イオニア軍に訓練を課していた人物だけあってこの3隻の練度は高く、戦線に踏みとどまって奮戦します。また、真ん中のキオス艦隊100隻も目覚しく戦い、同盟軍の多数が味方を裏切るのを目撃しながら、敵船多数を破壊しましたが、痛手を蒙ることも最大でした。航行の自由が効かなくなった船はしかたなく陸地につけて、そこから船を捨てて撤退しました。では、最左翼ミレトス艦隊はどうしたか、と言いますと、前にも書きましたようにヘロドトスの記述がないのでした。私の想像ではキオスと同じように奮戦した末に大敗したのではないかと思います。いずれにしてもイオニア軍は壊滅状態になりました。この時、たった3隻で奮戦していたポカイア艦隊司令ディオニュシオスは、こうなってはポカイアもペルシア軍によって奴隷化されるだろうと考えてポカイアへ戻ることはせず、そのままフェニキア艦隊の本拠地フェニキアへ航行し、そこでフェニキアの商船数隻を襲って多額の金品を奪う、という行動に出ました。この金品を当面の活動費としてシケリア(シシリー島)に向かい、そこでフェニキア人への戦争を続行しました。しかし、それは局面外の小さな話であって大勢はペルシア軍の大勝利でした。

ペルシア軍は右の海戦でイオニア軍を破るや、海陸両面からミレトスを包囲し、城壁を掘り崩し、またあらゆる攻城用の兵器を駆使して攻めたて、アリスタゴラスの反乱以来六年目にとうとう完全にミレトスを攻略した。ペルシア軍は全市民を奴隷にした(中略)。
 捕虜になったミレトス人は、その後スサへ護送されたが、ダレイオス王は彼らにそれ以上危害は加えず、いわゆる紅海に面するアンペという町に住まわせた。この町の傍らをティグリス河が流れて海に注いでいる。ミレトスの国土は、町と平野とをペルシア人が確保し、山地はペダサに住むカリア人に所有地として与えた。(中略)
 こうしてミレトスの町から、ミレトス市民は一掃されてしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻6、18〜22 から

ミレトスの陥落はBC494年のことです。ヘロドトス「ミレトスの町から、ミレトス市民は一掃されてしまった」と書いているのですが、その後もミレトス出身のギリシア人が歴史に登場したり、15年後にミレトスがまたペルシアに反抗する事件があったりしますので、実際にはミレトスに留まることを許された人々も多かったのではないか、と思います。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/25/Milet_amfiteatr_RB.jpg
アテナイは、イオニアの反乱にはその初期だけ参加し、その後は手を引いていましたが、やはりミレトスはアテナイの植民市だということで、このミレトス陥落の報を聞くとアテナイ人は非常に悲しんだということです。アテナイの悲劇作家プリュニコスは「ミレトスの陥落」と題する劇を書き、上演しましたが、それを見た観客たちがあまりに悲しんだためにアテナイ当局によって「同胞の不幸を想い起させた」という罪状で罰金を課されたうえ、この劇の上演を禁止されてしまったという話が伝わっています。残念ながらこの悲劇は現代には伝わっておりません。私は、このプリュニコスの「ミレトスの陥落」の断片がネットのどこかに出ていないかと探したのですが、見つかりませんでした。あるいは、こんなセリフがあったかもしれないと想像します。
「・・・・大いなる富の港よ! 大いなる幸せは失われた。イオニアの華は落ち、朽ちたのだ!・・・・・・・・われらが誇る80隻の三段櫂船は、ことごとく沈められ、船影は失せ去った・・・・」

(左の画像は、ミレトスの劇場の遺跡)