エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(12):ペルシアへの服属

ところでこのサルディスの陥落を、ミュティレネは最初、それほどの事件とは思っていなかったようです。しかし、やがて小アジア全体がペルシアに服属するようになると、自発的にペルシアに服属を誓うことになりました。この様子を見ていきます。


サルディスの陥落後、つまりリュディア王国がペルシアに亡ぼされたあと、小アジアイオニア人とアイオリス人が使いをペルシア王キュロスに送りました。これに対してキュロスが怒りを表わしたというお話しは「エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(10):サルディスの陥落」でご紹介しました。キュロスが怒ったのは、以前キュロスがイオニア人に使者を送って、リュディアに叛いてくれと頼んだときにはいうことを聞かず、今になってキュロスに従う態度に出たからでした。このことがイオニアとアイオリスの町々に伝わると、それらの町々は対策を協議し、スパルタに使者を送り、援助を求めることを決めました。しかし、エーゲ海の島々に住むイオニア人とアイオリス人たちは(その中にはミュティレネの人々も含まれるのですが)ペルシア軍が海を渡ってはこないだろうとタカをくくって、この動きには参加していません。



さて、サルディスが陥落して間もない頃、リュディア人パクテュエスが征服者ペルシアに対して反乱を起した話は「ディデュマ(2)」で紹介しました。この話の中でミュティレネが少し登場するので、繰り返しになりますが、手短にお話ししたいと思います。パクテュエスは結局反乱に失敗し、アイオリス人の町キュメに逃亡しました。パクテュエスを討伐するペルシア軍の指揮官はマザレスという者でしたが、彼はキュメに使者を送りパクテュスの引き渡しを要求しました。
庇護を求めて来た者を大切にするのは昔からの神聖な掟が命ずるところであるが、かといって引き渡さずにおればペルシア軍の攻撃にさらされて、町の存続も危ぶまれる、といったジレンマをキュメは抱えることになりました。そこで、どうしたらよいかを、神託で有名なディデュマのアポロン神に伺いを立てることにしたのでした。
神託は「パクテュエスペルシア人に引き渡せ」と命じました。そしてそうすることによってキュメ人が不敬の罪を犯して早く滅びてしまえば、これからのち、保護を求めた者の引き渡しをすべきかどうかなどと託宣を伺いに来る者もなくなるだろうから、と恐ろしいことを付け加えたのでした。まったく、無茶苦茶な神託だと思います。

 キュメ人は持ち帰られたこの託宣を聞くと、引き渡して国を亡ぼされるのも、また町に留めておいて包囲攻撃を受けるのも嫌だというので、パクテュエスをミュティレネへ送った。ミュティレネでは、マザレスからパクテュエス引き渡しの要求を伝達されるに及んで、なにがしかの報酬を受けて、引き渡す工作をはじめた。その額がどれほどであったか、正確には判らない。その取引は成立しなかったのである。というのは、キュメ人はミュティレネ人がそのような画策をしていることを知ると、船を一艘レスボスに送り、パクテュエスをキオスへ護送したからである。しかしここでパクテュエスは(中略)キオス人によってペルシア側へ引き渡されてしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、160 から

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

キュメ人はジレンマのあまり、パクティエスをミュティレネに送ったのですが、ミュティレネ人はキュメ人の悩みなどどこふく風で、さっそくペルシア側とパクテュエス引き渡しの報酬の交渉に入ったのでした。このような態度から察するに、ミュティレネはこの時点ではペルシアをそれほど恐れていなかったのでしょう。


しかしその後、マザレスに代わってハルバコスというペルシア人が軍司令官に赴任すると、彼は小アジアの諸都市を順番に征服し始めて、全て征服してしまったのです。

 こうしてイオニアは再度隷従の憂目を見たのであるが、ハルバコスが大陸のイオニア諸市を征服すると、島に住むイオニア人たちもこれに恐れをなして、自発的にキュロスに降伏してしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻1、168 から

ヘロドトスは上の箇所でイオニア人のことしか記していませんが、どうもこの時にミュティレネは、レスボス島の他の都市国家とともにペルシアに服属したようです。キュロスの次にペルシア王になったカンビュセスがエジプトを征服する軍の中に、ミュティレネの船があったことをヘロドトスは記しています。