エーゲ海のある都市の物語:デロス島(8):ダティスの見た夢
ダティスがデロスの海域から去ったのち、デロスに地震があったとデロスの住民は伝えている。そしてデロスにおける地震は今日に至るまで、これが最初であり最後であったという。(中略)
ペルシア軍はデロスを去って後、次々に島に接岸してそこから軍兵を徴用し、住民の子供を人質とした。ペルシア軍は島々を廻っている間にカリュストスへも寄った。カリュストス人は彼らに人質も渡さず、また近隣の町――というのはエレトリアとアテナイを指したものであったが――の攻撃に参加することも肯じなかったからで、ペルシア軍はカリュストスの町を包囲攻撃しその国土を荒したため、遂にカリュストス人もペルシア軍の意に服することとなった。
ヘロドトス著「歴史」巻6、98〜99 から
- 作者: ヘロドトス,松平千秋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1972/01/17
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このダティスの遠征軍は、アテナイ近郊のマラトンに上陸したところをアテナイ軍を中心とするギリシア軍によって撃退されます。ダティスは再度戦いを試みることなくペルシアに退却します。その帰り道、デロス島のすぐ東のミコノス島に碇泊した時のことです。ダティスはそこで何か重大な意味を持っていそうな夢を見たそうです。残念ながらどんな夢だったのかは伝わっていません。
遠征軍を率いてアジアに向ったダティスがミュコノス島に着いた時、睡眠中ある夢を見た。それがどんな夢であったかは伝わらないが、夜が明けるとすぐに諸船の捜索を命じ、フェニキア船内で金箔を張ったアポロンの神像を発見すると、どこから奪ってきたものかと問い訊した。その神像を奪ってきた聖所の名を知ると、ダティスは自分の船でデロスへ向った。というのはこの頃にはすでにデロスの住民は帰住していたからであるが、ダティスは神殿に像をおさめ、テバイ領のデリオンに神像を返すように命じた。デリオンは海辺にありカルキスと相対する土地である。
ダティスは右のように指令して去ったのであるが、デロス人はこの神像を送り返さず、ようやく二十年後になってテバイ人自身が神託に基いてこれをデリオンへ運んだのであった。
ヘロドトス著「歴史」巻6、118 から
「フェニキア船内で」という言葉が出ていますが、当時フェニキアはペルシアに服属しており、もともと陸の民であるペルシアに代わってペルシア海軍の主力を形成していました。ダティスは、自分配下の軍勢の誰かがアポロンの神像を略奪したことを警告する夢を見たのでしょう。「その神像を奪ってきた聖所の名を知ると」とありますが、その場所とはおそらく後に登場するデリオンなのでしょう。ギリシア本土で敗戦の憂き目にあったダティスはいまさらデリオンまで神像を返しにいくわけにもいかず、デロス島の住民に返却を依頼したのでしょう。
それにしてもここでのデロス人の行動は納得がいきません。デロス人は神像をデリオンに送り返さないまま20年が過ぎ、結局デリオンを領有するテバイ人が自分から回収にきたというのです。神がダティスに神像の返却を促したのなら、20年間放置していたデロス人にも警告の夢を送らなかったのでしょうか? よりによってアポロンの島の住民デロス人がこんなことをしたとは、どういうことなのでしょう。よく分からない話です。