エーゲ海のある都市の物語:テラ(4):ミニュアイ人たち

テラスがテラに植民したところに話を戻します。
テラスはこの時、スパルタで政府に反抗していたミニュアイ人たちを一緒に連れていきました。ミニュアイ人というのはオルコメノスやという町を拠点とする人々のことですが、アルゴ号の乗組員(ギリシア語でアルゴナウタイといいます)もなぜかミニュアイ人と呼ばれていました。テラスが引き連れていったのもアルゴナウタイの子孫です。

アルゴ号の冒険の発端については「ミュティレネ(4):アルゴー号の冒険」に書きましたが、イオルコスの港からアルゴ号が出発してからのことは書いていませんでした。イオルコスの港を出てからアルゴ号が最初に上陸したのはレムノス島でしたが、その時レムノス島は女だけの島でした。これはたぶん男性の妄想が作った物語ですね。得難い宝(黄金の羊の毛皮)を求めての冒険の航海の最初の寄港地が、女だけの島というのは何ともしまらない話ですが、今に伝わる物語ではそうなっています。しかもアルゴナウタイの英雄たちは島の女たちとねんごろになり、子供まで儲けたのでした。

レームノス島の女はアプロディーテーを崇拝しなかったため、女神は女たちが悪臭を発するようにした。このため男たちは妻と寝ずに、トラーキア付近から捕虜の女を連れ帰って相手とした。侮辱された女たちは、夫や父親を皆殺しにした。このなかでトアース王の娘ヒュプシピュレーだけは父親を舟に隠して逃がし、命を救った。ヒュプシピュレーは女だけになった島を女王として治めた。アルゴナウタイは島の女たちに迎えられ、寝所をともにした。イアーソーンはヒュプシピュレーと交わり、息子のエウネーオスとネプロポノスが生まれた。


日本語版ウィキペディアの「アルゴナウタイ」の項より




黄金の羊の毛皮を獲得するというこのプロジェクトのリーダーはイアソンでしたが、彼にはスケジュール管理能力がまったくなさそうですね。そのうち、ヘラクレスが「いくらなんでもこのままじゃまずいだろう」とイアソンを急き立てたので、目的地のコルキスに向かったのでした。この英雄たちは島に妻子を残したまま(物語を信じるならば)二度とレムノス島には戻ってこないのでした。これまた無責任な話です。


とにかくこういうわけで、レムノス島にはアルゴナウタイの子孫であるミニュアイ人たちが住んでいました。それから長い年月が流れてドーリス人がペロポネソス半島に侵入した頃、アテナイからアテナイ人によって追放されたペラスゴイ人がレムノス島にやってきてこのミニュアイ人たちを追い出しました。ペラスゴイ人というのは今では実体がよく分からなくなった民族です。追い出されたミニュアイ人たちはペロポネソス半島のスパルタに向かいました。

アルゴー船に乗り組んだ勇士たちの子孫は(中略)ペラスゴイ人のためにレムノス島を追われ、海路スパルタに向った。そしてタユゲトス山中に屯(たむろ)して火を焚いていた。これを見たスパルタ人は使者をやって、彼らが何者でどこから来たのかを訊ねさせた。すると彼らは使者の問いに答えて、自分たちはミニュアイ人で、アルゴー船に乗り組んだ英雄たちの子孫であり、この英雄たちはレムノス島に上陸して自分たちの祖先となったのである、と語った。ミニュアイ人の素姓の説明をきいたスパルタ人はふたたび使者を送って、何の目的でこの国へきて火を燃やすのかと訊ねさせた。その答えは、ペラスゴイに追われたために父祖の国にきたのである。そうするのが一番正しいと思ったからだといい、スパルタ人の国にその特権や土地を分けて貰い、一緒に住まわせてほしいというのであった。


ヘロドトス著「歴史」巻4、145 から

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)


ミニュアイ人の移動経路


レムノス島から追い出されたミニュアイ人たちがなぜスパルタを「父祖の国」というのかちょっと理解に苦しみます。本来ならばイアソンの故郷であるイオルコスを「父祖の国」と呼ぶべきです。しかしこの伝説ではミニュアイ人たちは「アルゴ号にはカストルとポリュデウケスの双子も参加していて、彼らはスパルタの出身だから」と説明します(ところでこのカストルとポリュデウケスはのちに空に上げられて星座のふたご座になりました)。この説明で納得するスパルタ人もどうかと思います。ともかくスパルタ人は彼らを受け入れ、土地を分け与えたのでした。また、スパルタの女との婚姻を許したのでした。ところが・・・・

それから何程の時もたたぬ間に、ミニュアイ人はみるみる増長し、王権に参与することまで要求し、ほかにも不法の行為が多かった。そこでスパルタ人は彼らを殺すことに決定し、捕縛して処刑のために監禁した。スパルタでは死刑囚は夜間に処刑し、昼間には処刑を行なわぬのである。さてミニュアイ人を処刑しようとしているとき、その妻たちが――いずれも生粋のスパルタ人で、名門の娘であった――獄舎に入ってそれぞれの夫に面会させて欲しいと頼んできた。スパルタ人は女たちの謀略にかかろうとは夢にも思わず、獄舎に入ることを許した。女たちは中へ入ると、自分の着ていた着物を全部脱いで夫に与え、自分たちは夫の着ていたものを身につけた。ミニュアイ人たちは女の衣装を纏って女のごとく見せかけ獄舎の外に出、このようにして逃れた彼らは再びタユゲトス山中に立籠った。


ヘロドトス著「歴史」巻4、146 から

ここでテラスが登場します。

獄舎から逃亡したミニュアイ人がタユゲトス山中に立籠り、スパルタ人が彼らを討とうとしているとき、テラスは彼らを殺さぬように頼み、自分が彼らを国外に連れ出すことを引き受けた。スパルタ人が彼の意見を容れたので、彼は三隻の三十橈船を連ねてメンブリアロスの後裔の許へ船出した。ただしミニュアイ人全部を連れたのではなく、連れていったのは少数のものだけであった。


ヘロドトス著「歴史」巻4、148 から

植民活動には不満分子を国から追い出すという意味もあったことを推測させる記述です。