壬申の乱 遠山美都男

壬申の乱―天皇誕生の神話と史実 (中公新書)

壬申の乱―天皇誕生の神話と史実 (中公新書)

この本の副題「天皇誕生の神話と史実」の意味するところが私には難しくてよく理解できませんでしたが、壬申の乱日本書紀の記述をたどりながら、そこから生き生きとした叙述を引き出してくるのがとても魅力的です。第1章、第2章は総論的な記述になっていますが、第3章からは各節の題名が、日本書紀の記述から取られています。たとえば第3章「内乱の発生と展開」の各節は以下のような題名です。

  • 何ぞ黙して身を亡さむや
  • すみやかに不破道を塞げ
  • 事にはかにして駕を待たず
  • 朕、遂に天下を得むか
  • 皇子、従ひたまはず
  • 高市皇子、鹿深より越えて遇へり
  • 天照太神を望拝みたまふ

そこからは日本書紀を自分が読んだときには分からなかった叙述がリアリティをもって立ち上がってきます。たとえば「事にはかにして駕を待たず」では、次のように著者は叙述しています。

 ついに大海人皇子は美濃に向けて出発しようとした。
 できれば官馬を利用できないものかと考えた大海人は、舎人の大分君恵尺(おおきだのきみえさか)、黄書造大伴(きふみのみやつこおおとも)、逢臣志摩(おうのおみしま)の三名を倭古京(奈良県高市郡明日香村)の留守司である高坂王(たかさかのおおきみ)のもとに遣わし、駅鈴(各地の駅に置かれた官馬の使用許可証明)を手に入れようとした。それは高坂王の肚のうちを探るというねらいもあった。高坂王が快く受託すればよし、拒絶された場合を想定し、三名の舎人にはそれぞれ使命があたえられた。
 はたして、高坂王は大海人の要求を拒んだ。
 高坂王が近江大津宮大友皇子のもとに大海人の動静を通知するのは時間の問題であった。
 舎人たちのうち、逢臣志摩は直ちに吉野にとって返し、ことの不首尾を復命した。大分君恵尺は、近江にいる高市、大津の両皇子に決起の旨を知らせに走った。そして、黄書造大伴は、倭古京にあって大海人にひそかに期待をよせる大伴連馬来田(おおとものむらじまぐた)、吹負(ふけい)兄弟のもとに向かったのである。

このような叙述説明のあとには著者による考察の説明が記されているのですが、上に引用したような復元叙述の部分がこの本の中にはいくつもあるのですが、それらを続けて読むと日本書紀が急に読み物になる感があります。