インド文明の曙(ヴェーダとウパニシャッド)
インド文明の曙―ヴェーダとウパニシャッド (1967年) (岩波新書)
- 作者: 辻直四郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1967/01/20
- メディア: 新書
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というふうに分類されているのですが、サンヒターの代表的なものリグ・ヴェーダ・サンヒターは有名で、前述のように岩波文庫に訳が出ています。一方ウパニシャッドは古代インド哲学ということでこれもよく訳が出ています。しかし、その間にはさまれたブラーフマナとアーラニアカの紹介はめったに目にしたことがありません。この本ではブラーフマナ文献の内容紹介が(わずかですが)なされています。
と著者は説明しています。ですから(少なくとも日本では)人気がないのです。でも、私はこのような珍しいものは、珍しいというだけで好きです。私はブラーフマナについてのみ語り過ぎたようです。
この本の最後に紹介している話は私にとって印象深かったのですが、今、読んで見るとこれもブラーフマナでした。ヴェーダがいかに膨大な量であり、その学習が困難であったか、を示す話です。
バラドヴァージャ仙は実に三生を通じてヴェーダを学習せり。彼が枯痩老衰して横たわれるとき、インドラ天は彼に近づきていわく、「バラドヴァージャよ、われもし汝に第四の生を与えんに、汝はその生において、何をかなさんと欲すや」と。バラドヴァージャ答えていわく、「さらにヴェーダを学習せんと欲するのみ」と。インドラは彼に何ものとも分明せざる三個の山形を示し、そのおのおのより一握りずつを取れり。しかして、「バラドヴァージャよ」と呼びかけていわく、「これら三個の山形はすなわちヴェーダなり。ヴェーダは実に無限なり。この掌の中のものは、実に汝が三生を通じて学習せるところなり。それに反し残余の部分こそ、汝のいまだ学習せざるところなれ」と。