アッチラとフン族

アッチラとフン族 (文庫クセジュ 536)

アッチラとフン族 (文庫クセジュ 536)

フン族は元々、中国の万里の長城の北にいた蛮族、匈奴であった「と言われています。」 日本の学界ではどうも匈奴フン族で決定しているようです。しかし、この本では匈奴フン族 は疑わしいとしています。そして、むしろ、古代中国の文献に出てくるK'ouen(どんな漢字になるのか、フランス語の本なので訳者も分からない)がフン族の祖先である可能性の方が高い、と考察しています。しかし、著者はこの仮説についても慎重を期しています。
いずれにせよ、ここに描かれているのは、万里の長城の北方からヨーロッパにかけてユーラシア大陸を東から西へと長距離を横断した、横断しただけでなく、それと共に甚大な被害(虐殺と都市破壊)を通過した各地に残していった、まるで台風のような、一民族の歴史です。それは恐ろしいながら、興味深い歴史です。
万里の長城の北側(モンゴル平原)からバイカル湖を経、アンガラ川とトゥーヴァ川に分かれ、天山山脈のさらに北方にあるアルタイ山脈のそのまた北側を西に進み、イェニセイ川を越え、オビ川、イルチ川を越え、ウラル川を西に下り、カスピ海の北側を通過し、ドン川、ドニエプル川ドニエストル川印欧語族にとっては意味深い名前の川々)を通過し、ドナウ川(当時はローマ帝国の国境であった)に達し、彼らの抵抗に会うや、その上流に向かって西北に進み、ローマの属州パンノニア(現ハンガリー)に腰をすえ、アッチラの時に大帝国を築き、彼の死とともにその帝国が瓦解した、謎の民族の、何と言ったらいいのか・・・評する言葉のない歴史です。
個人的な思い出としては、昔何度もヨーロッパに出張した時、機内で心に浮かんだのがフン族の進路でした。もちろん、航空路はフン族の進路よりもずっ北の北極圏に近い航路をたどってヨーロッパへ向かったのですが。機内で浅い眠りをとっている時に、まるで私の無意識の中から凶暴な何者かがヨーロッパに向けて西進している、機内で何度もそのような感覚を覚えていました。
フン族は後の中世ドイツのニーベルンゲンの歌にも登場します。そこではアッチラ(ニーベルンゲンの歌ではエッツェル)はずっと穏やかな人格者の王として描かれています。もっと北方のゲルマン伝説では、より酷薄なアッチラ(ゲルマン伝説ではアトリ)が登場します。古エッダの「グリーンランドのアトリの歌」には粗野で勇猛なフン族の姿が描かれているように思えます。

異国の宝環はフン族の公達の手に輝くよりは、流れてやまぬ河の底に輝く方がよかろうぞ!

ブルグンド族の王グンナルは、フン族に捕らえられても、宝のありかを明かさない。憤激したフン族の兵たちは叫ぶ

車を回せ! 虜は縛り上げられているぞ!
(「エッダ」谷口幸男訳 より)

話は前後しますが、こんな場面もあります。アトリに嫁いでいたグンナルの妹グズルーンが、アトリの宮廷にやってきたクンナルとその弟ヘグニを見つけた場面です。

 二人の兄弟が広場に入ってきたのを、いち早く認めたのは妹グズルーンであった。彼女はいささかも酔ってはいなかった。
「グンナル、はかられたのです。フン族の腹黒い陰謀にかかっては勝目がありましょうか。すぐに館を去ってください。」

ニーベルンゲンの伝説と史実との関係については、いつか書いてみたいと思います。