五衰の人 徳岡孝夫

五衰の人―三島由紀夫私記 (文春文庫)

五衰の人―三島由紀夫私記 (文春文庫)

三島事件の時、私は小学校の五年生で、その事件の意味するところなんかはまったく分かりませんでした。それよりも大阪で開かれている万博のことが主要な関心事でした。その事件の意味するところは、今もって確定していないのでしょうが、それとは別に、その当時の人々にとってそれがどのような衝撃であったか、ということも当時小学生だった私には、やはり分かりません。この本は同時代にとっての三島氏をかいまみさせてくれるところがあります。今の私はとうに三島氏が死んだ年齢を越えています。この本を読んでそのころのその年齢の人たちはこんなことを考えていたのか、社会はこんなんだったのか、と発見することが多く、そこに不思議な感慨を得ています。そして、三島氏の同時代に発した魅力の強さが少し分かってきたような気がします。
さて、三島氏の最後の長編小説「豊饒の海」4部作の最終巻(第4巻)の題名が「天人五衰」であり、本書の題名はそこから来ています。死に向いつつある三島氏、という意味でこのような題をつけられたのだと思います。著者は当時サンデー毎日の記者として三島氏の最後の3年半に知遇を得ることが出来たのですが、本書はその貴重な記録で、記述からは三島氏への思いやりが感じられます。最近、私は似たような本として椎根 和の「平凡パンチ三島由紀夫」を読みましたが、それは本書に比べてやや散漫な印象を受け、私にとっては本書のほうがすぐれていると感じています。
本書で、おもしろい、と思った記述を引用します。

 右の体験を三島さん自身が綴った手記『自衛隊を体験する』は、三島さんによる自衛隊の初の「試食」(彼自身の表現)を語るものとして面白い。文中、例によってキラキラ輝く比喩が少なくないが、全体の調子も昂揚・・・・というより、ほとんど上ずった個所さえある。たとえば戦中の体験と思い比べて

・・・・二十二年ぶりに銃を担つて、部隊教練にも加はつた。肩は忠実に銃の重みをおぼえてゐた。

 私はベトナムの戦場で米海兵隊員のM16ライフルを持ってみたが、三島さんと同じ時代に軍事教練で扱った三八式歩兵銃に比べ、忠実な重みどころかその「軽み」に驚いたことがある。

こんなことは、戦時中に軍事教練を受けたことがない私には分からないことです。それからこんな記述もあります。

 自決の翌日の夜だったと思う。密葬があると聞いて、私は南馬込の三島邸へ行った。門外で礼をして帰るつもりだったが、そこには学生服を着た十数人の若者が整列し、昭和維新の歌を歌っていた。歌い終わると、代表らしいのが進み出て門の内側に立つ人影に向かって「オッス」と挨拶した。挨拶を受けた人を夕闇に透かして見ると、弟の平岡千之氏だった。思わず「平岡さん」と声が出て近づくと、制服警官が遮った。平岡氏が「兄の友人です」と言いつつ門を開いてくれたので、思いがけなく邸内に入ることが出来た。
赤尾敏さんから電話がありましてね。ぜひ弔問に伺いたいが、自分が行けばかえってご迷惑になるかもしれない、自宅で故人の霊を拝ませていただきますということでした。モノの分かった方ですねえ」と平岡氏は言った。私は玉串を捧げ礼をして帰った。

抑制された記述がとてもよいです。