ケルト神話と中世騎士物語(2007/2/19より移動)

ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険 (中公新書)

ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険 (中公新書)

この本もあまり読んでいません。
最後まで読むと、ユングが出てきます。しかし、それまで本の大部分では出てきません。最初は「騎士と妖精」と同じように「沈める寺」イスの都の話から始まりまが、「騎士と妖精」には登場しなかった話も多く書かれていて、両方の本はそれぞれ特色があります。
著者略歴を見て驚いたのですがこの人は「デカルトの旅/デカルトの夢」というおもしろい本の著者だったのでした。この本のあとがきに著者の心情が書かれています。

自分なりの小さな思想的遍歴の中で次第に神話や民話の世界に惹かれるようになっていったのには、やはりそれなりの必然性があったのだろうなということである。それはつまり、近代的諸価値に対する深刻な懐疑にとりつかれてしまった自分が、失われた過去の世界におのずから導かれていったのは必然的だったという意味だが、ただ、ヴェーユのように、神話や民話に神の真理の反映を見ることができるというような信念にまで到達しているわけではない。

ヴェーユのように、というのは、やはりあとがきに引用されているヴェーユの次の言葉のことを指しています。

「十字架の聖ヨハネは、真理は黄金であるのに対して、信仰は銀の反映にすぎないという譬喩を用いています。さまざまある宗教の伝承はすべて、同一の真理の異なったさまざまな反映であり、おそらくその貴重さは同じです。ところがこのことが理解されておりません。各人はこれらの伝承の中の一つだけを生きており、その他の伝承は外側から目にするからです。」(「シモーヌ・ヴェーユ著作集?」大木健訳 二三八頁)

これは私には共感出来る考え方です。