ロシア精神の源(よみがえる「聖なるロシア」)

著者は日本ハリストス正教会の聖職者です。この本は日本ではあまりなじみのない、いわゆるロシア正教を紹介する内容です。ここで強調したいのは、この本の出版がソ連崩壊前であるということです。著者は共産主義ソ連の表面からは見えないロシア正教の復活(よみがえる聖なるロシア)を主張したのでした。
この本のあとがきにこう書いてあるのを読んで、キリスト教に関する自分のイメージがカトリックプロテスタントに片寄っていたのではないか、と思いました。

 キリスト教を、ヨーロッパのものと考えると理解しがたいだろうが、今日の日までキリスト教は東洋の西の端の発祥の地に存続している東洋の信仰なのである。歴史を振り返ってみると十六世紀初頭の宗教改革の時まで、キリスト教と言えば、発祥の地を中心に存続していた伝統的なキリスト教である正教会と、ヨーロッパにあったカトリック教会だけであった。
 そのカトリック教会も元を正せば、正教会のローマ総主教区であったから・・・・・

それが私が本書に興味を持ったひとつの理由ですが、もうひとつの興味は、東ローマ帝国ビザンチン帝国)からロシアへの文化の継承、でした。いわゆるモスクワを「第三のローマ」とする考え方についてです。本書によれば、この間の事情は錯綜を極めています。簡単に言えば、最後のビザンチン皇帝(ローマ皇帝)コンスタンチン・パレオロゴスの姪ゾエ(のちに改名してソフィア)をロシア皇帝イワン3世が娶って后にした、ということから

・・・ローマ帝国は、最初イタリア半島のローマが都として栄えた後、紀元四世紀からバルカン半島の突端、小アジアの対岸ビザンチウムに都を移し新ローマとした。建設された当時から「第二のローマ」はコンスタンチノープルと仇名で呼ばれ、その後千年栄えた。イスラム・トルコがコンスタンチノープルを落とすと、ビザンチン帝国と深い仲にあったロシアこそが、新しい都モスクワを「第三のローマ」とするという説が生まれた・・・

というものですが、この本では

ビザンチン帝国皇帝の称号は、ローマ帝国の皇帝として全地に君臨する唯一の皇帝という意味があったが、ロシアの皇帝の称号はロシアの地に限られていた。

ビザンチン帝国の跡継ぎとしてのロシア帝国などというようには考えていなかった。

と、この説を一応否定しています。第三のローマという意味は、コンスタンチノープルが陥落した今、正教を継承するはモスクワである、という意味だということで、精神的な継承であって政治的な継承ではない、ということです。
このあたりの分野というか領域というか、この辺のことについて、この本は貴重な情報を含んでいます。