ローマ史

皇帝マルクス・アウレーリウス「自省録」からの抜書き

何か自分に対するおまじないになるかもしれないと思い、書き写します。 覚えておくこと。 我々の指導理性が難攻不落になるのはどういう時かというと、これが自分自身に集中し、自己の欲せぬことは行わずに満足している場合である。これはたとえその拒絶が理…

行ったつもりのアテネ:ハドリアヌスの門

紀元一三二年に建立された高さ十八メートルの「ハドリアヌスの門」は、このゼウス大神殿のすぐそばにある。そして門のフリーズには、次のような文字が刻み残されている。 まず、アクロポリスがある西側には、「ここはアテナイ、テセウスの古き都」。ゼウス神…

行ったつもりのアテネ:ゼウス神殿(オリュンピエイオン)

ゴールデンウィークは出勤日が多く、ひたすら脳内でギリシアを旅行しているつもりになっていました。アテネでゼウス神殿、またの名をオリュンピエイオンを訪れたのは、妄想の中では5月1日(金)の午前中でした。前日の23:10にアテネ国際空港に到着。ホテル…

中世ローマ帝国

中世ローマ帝国―世界史を見直す (岩波新書 黄版 124)作者: 渡辺金一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1980/06/20メディア: 新書 クリック: 2回この商品を含むブログ (1件) を見る「コンスタンティノープル千年」と同じ著者の本です。こちらの本は1980年初版…

コンスタンティノープル千年

コンスタンティノープル千年―革命劇場 (1985年) (岩波新書)作者: 渡辺金一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1985/06/20メディア: 新書購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (4件) を見る私が愛着を持つ本の一つです。第1刷発行が1985年なので、も…

新・ローマ帝国衰亡史 市川高志著

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)作者: 南川高志出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2013/05/22メディア: 新書この商品を含むブログ (14件) を見る最近、ブログを書く勢いが弱く、なかなか書けないです。・・・ふぅ・・・・。そこで、一気に書かずに、1つの…

神統記に登場するエトルリア

これは自分のための単なるメモ 神統記 (岩波文庫 赤 107-1)作者: ヘシオドス,廣川洋一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1984/01/17メディア: 文庫購入: 8人 クリック: 22回この商品を含むブログ (14件) を見る BC8世紀のギリシア人ヘシオドスの神統記に…

カルヌントゥムのマルクス・アウレーリウス

カルヌントゥムはドナウ河沿いの古代ローマの都市。ドナウ河はローマ帝国の国境だったので、この都市は国境警備のために建てられた都市である。古代ローマの皇帝マルクス・アウレーリウスの自省録の第2巻の末尾には「カルヌントゥムにて」と書かれている。…

Patientia(忍耐)

紀元2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスは、その治世の最後に貨幣の銘としてPatientia(忍耐)の語を選んだ。 Patientia(忍耐)―― 造幣局長官となって新しい貨幣鋳造の監督に当たっているドミティウス・ロガトゥスにきのうわたしは会って、わたしの最後の標語…

見たい。映画「アレクサンドリア」

映画に関してはいつも関心のない私ですが、この頃このブログが「ヒュパティア」という単語でアクセスされるのを不思議に思って調べたら、なんと最近ヒュパティアを主人公にした映画が封切られたとのこと。・・・・こっこれはっ・・・見たいッ! (だが、ここ…

ローマは1日にして滅びず(まとめ)

1:紀元378年 西ゴート族のドナウ渡河 2:紀元410年 西ゴート族によるローマ劫掠 3:紀元476年 ゴート族のドナウ渡河から98年 西ローマ帝国の滅亡 4:紀元565年 ゴート族のドナウ渡河から187年 ユスティニアヌス帝による再征服 5:紀元678年 ゴート族の…

ローマは1日にして滅びず(33 最終回)

「ローマは1日にして滅びず(32)」でオットー・フォン・ハプスブルクとヨーロッパ・ピクニック計画のことを書いたところで、私の「ローマは1日にして滅びず」は、ほぼ終わりです。今日は、付け足しのエピソードを紹介します。 話は東のローマ帝国がオス…

ローマは1日にして滅びず(32)

神聖ローマ帝国は滅びましたが、オーストリア帝国が残りました。もともと神聖ローマ帝国は150年もの間、機能しておりませんでした。フランスでナポレオンが皇帝に即位した1804年、その即位式から間もない頃にハプスブルク家の当主にして神聖ローマ帝…

ローマは1日にして滅びず(31)

ハプスブルク家のカール5世についてはさまざまな本に書かれていますから、ここではあまり述べません(オットー3世の時は、ほとんど日本語の本に登場しないので、書きたくて仕方がありませんでしたが)。カール5世は1555年、55歳の時にブリュッセル…

ローマは1日にして滅びず(30)

「戦は他国にさせておけ。幸いなるオーストリアよ。汝は結婚せよ。」 と呼ばれたハプスブルクの婚姻政策というのは、姻戚関係によってどんどん領土を増やしていった様を言います。 まずはフリードリヒ3世の息子マクシミリアンが、ブルゴーニュ家のシャルル…

ローマは1日にして滅びず(29)

やっと、フリードリヒ3世まで来ました。「ローマは1日にして滅びず(11)」で、東のローマ帝国が、オスマントルコによるコンスタンティノープル陥落で滅亡した際に、私が、まだローマ皇帝はいる、と言って持ち出してきたフリードリヒ3世です。 ところで…

ローマは1日にして滅びず(28)

ルクセンブルク家の、そしてボヘミア国王にして皇帝でもある、カール4世の(神聖)ローマ帝国*1は、強大な力を持つ諸侯を何とかまとめて作り上げたガラス細工のようなもろい帝国でした。このような脆弱な帝国を以って幻影の世界帝国をうんぬんするのは気が…

ローマは1日にして滅びず(27)

「ローマは1日にして滅びず(26)」の続きです。 ホーエンシュタウフェンの一族が断絶したあと、西のローマ帝国はしばらくの間、実質的な皇帝が出現しませんでした。ドイツ諸侯が強力な皇帝の出現を嫌って、足を引っ張り合って有力者を皇帝に推薦しなかっ…

ローマは1日にして滅びず(26)

しかし、このローマ帝国はかつての栄光を取り戻すことは出来ませんでした。法王側は皇帝権力の増大を怖れてイタリア、ドイツの各地に反乱をけしかけました。法王側には自前の軍隊はあまりありませんが、破門という強力な精神的武器がありました。とうとうフ…

ローマは1日にして滅びず(25)

1229年 フリードリヒ2世 エルサレム王位戴冠 フリードリヒ2世は天才でした。話すだけなら9ヶ国語、読み書き両方ならば7ヶ国語が出来たそうです。もともと両シチリア王国はイタリア人とともにギリシア人、アラブ人が共存する国でした。そういう背景もあっ…

ローマは1日にして滅びず(24)

フリードリヒ2世 = フェデリーコ2世 ホーエンシュタウフェン王朝最後の大帝のことを、我が国では通常フリードリヒ二世とドイツ読みで呼ぶ。だがこの皇帝はイタリアで生まれ育ち、イタリア語で話し詩作し、イタリアを愛し、イタリアの歴史を動かし、生涯の…

ローマは1日にして滅びず(23)

「ローマは1日にして滅びず(22)」の続きです。 西のローマ帝国でカノッサの屈辱の次にやってくるのは十字軍です。第1回十字軍(1096〜99年)の時には、カノッサの屈辱の当事者のひとり皇帝ハインリヒ4世はまだ生きていました。しかし、彼は十字…

ローマは1日にして滅びず(22)

「ローマは1日にして滅びず(21)」の続きです。 オットー3世のローマ帝国復興の次に、世界帝国の夢が実現しそうになったのはホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世の時です。時代はオットー3世の時より200年ほどのちになります。しかし、フリ…

ローマは1日にして滅びず(21)

紀元1001年。暗転 紀元1001年、ローマ市はオットー3世に対して蜂起しました。オットー3世はこの時、パラティーノの丘の宮殿にいました。そしてオットーにとって不都合なことには、この宮殿は古代ローマ風に建てられており、籠城するには適していませんでし…

ローマは1日にして滅びず(20)

紀元1000年。オットー3世によるローマ帝国復興(3) オットー3世の2人の助言者、フランス出身のオーリヤックのジェルベール(法王シルヴェステル2世)とチェコ出身のアーダルベルトの両名についてはWikipediaに説明がありました。これらを読んでいると…

ローマは1日にして滅びず(19)

紀元1000年。オットー3世によるローマ帝国復興(2) 私は「ローマは1日にして滅びず(18)」で、私が感じる彼の魅力をお伝えしようとして、結論に進み過ぎたきらいがありました。年代を追って記述することで、オットー3世の生涯を再構成していきましょ…

ローマは1日にして滅びず(18)

紀元1000年。オットー3世によるローマ帝国復興(1) オットー3世は私の興味を非常にかきたてる人物です。あいにく、日本語で書かれた記述ではなかなかオットー3世の事跡の記述に出会うことがありません。もっともそれは私の探し方がわるいのかもしれませ…

ローマは1日にして滅びず(17)

都市ローマの住民にとっての復活したローマ帝国 復活したローマ帝国は、理念的にはローマ法王とローマ皇帝の2つの中心を持ち、ローマ法王が宗教面をローマ皇帝が世俗面を指導し支配する、そしてローマ法王もローマ皇帝も多民族に君臨する、民族を超えた、世…

ローマは1日にして滅びず(16)

961年 2度目の西ローマ帝国の復活 藤沢道郎氏の「物語 イタリアの歴史II」の中の「第三話 マローツィア婦人とその息子たちの物語」をこのブログのエントリ(2007年)「物語 イタリアの歴史II」で紹介しましたが、その記述に表れているように10世紀前半の…

ローマは1日にして滅びず(15)

カールの帝国、その後 カールがローマ帝国の復活というものをあまり本気にしなかったと思われるのは、806年に出した「王国分割令」からも伺われます。ここではカールのあとを継ぐ3人の息子に対して自分の王国(フランク王国)を3つに分割(ほぼ等分割)…