自壊する帝国(つづき)

自壊する帝国」を読み終わりました。
以下は「自壊する帝国」の中でおもしろかった箇所のひとつです。
1991年5月、当時参議院議員だったアントニオ猪木氏がモスクワを訪れた時、著者の佐藤氏と猪木氏がいっしょになってロシア人たちをウオトカで酔いつぶした、という痛快なエピソード。

 「・・・・ところで、佐藤さん、これからあのペテン師たちが来るんだけれど、少しとっちめてやりたい。ウオトカであいつらを叩き潰してやろうと思うのだが、協力してくれないか」
 猪木氏が「ペテン師」と呼んだのは、「科学産業協会」という怪しげな財団を主宰するビクトル・ボイチェフスキー教授のことだ。(中略)
 今回、このルートで猪木氏は(CUSCUS補足:モスクワへ)訪問したが、まともな会見を取り付けることができなかった。
(中略)
「・・・・今回はいろいろよい勉強になりました。ショットグラスのような小さいグラスでウオトカを飲んでも思い出にならないので、このコップで飲みましょう」
 そう言って、猪木氏はロシア・クリスタルの水飲みコップをとって、全員に200cc以上のウオトカを注いだ。
「正直な人たちのために乾杯」
 猪木氏と私は一気にウオトカを飲み干した。ボイチェフスキーらロシア人たちは目を丸くしたが、続いてウオトカを飲み干した。(中略)私は全員のコップにまた200cc以上のウオトカを注いで乾杯の音頭をとる。(中略)猪木氏と私はウオトカを飲み干したが、ボイチェフスキーは口を少しだけつけ、飲まない。
 私は、「あんた、猪木先生が飲み干したのに失礼じゃないか」と言って、一気飲みを強要した。三分も経たない内に一人約一本のウオトカを飲んだことになる。急性アルコール中毒にならないのが不思議なくらいだ。(中略)そこでさらに私が全員に200ccずつウオトカを注ぎ、呂律が回らなくなった猪木氏が乾杯の音頭を取る。
「よくもナメたまねをしてくれたな。本物の日本人と本物のロシア人の友好のために乾杯」
 ボイチェフスキーたちはウオトカに少しだけ口をつけ、「もう勘弁して欲しい」と泣き言を言い始めた。私は容赦せずに「勘弁ならない。ブンデルシャフトをしよう」と提案した。
 ブンデルシャフトとは右腕を交互に組み合わせ、グラスの酒類を一気飲みし、その後、三回キスをするという親愛の情を示すときのロシア独特の飲み方だ。これを断ると「お前とは友だちになりたくない」ということと受け取られる。
 ボイチェフスキーは私と腕を組み合わせ、コップのウオトカを飲み干した。耳許で私が囁いた。
「ビクトル(ボイチェフスキーの名)、お前はいったい何者だ。PGU(ペー・ゲー・ウー、対外諜報を担当するKGB第一総局)かそれともGRU(軍諜報総局)か。出自を明らかにしろ」
(中略)
 猪木氏は、ボイチェフスキーが用意した車を断り、私が乗っていた日本大使館の車でシェレメチェボ第二空港に向かった。車に乗った途端、私は気を失い、猪木氏に頬を軽く叩かれて目を覚ました時には車は空港に着いていた。
 (中略)翌朝、二日酔いで、身体が鉛のように重かったが、定刻通り九時半に大使館に着いた。机の上にファックスが置いてあった。猪木氏の直筆で「佐藤さんの身体を張ったアテンドでとても有意義な旅になりました。どうもありがとうございます」と記されていた。

巧みな描写です。最後、猪木氏の気配りを示すファックスの話で終えるところは、逆に著者の気配りを感じさせます。