テュケーはアナンケに劣らず無情な女神である。

これは、ウィーナーの「サイバネティックス」にある言葉です。テュケーはギリシア神話の「運、偶然」の女神、アナンケは「必然」の女神です。古くからの生気論と機械論の論争を量子力学の登場まで概括した科学的かつ哲学的な議論の最後に、こういう文学的な言葉で締めているのが、私には魅力的です。
もう少し前から引用すると以下のとおりです。

ニュートンの)物理学の可逆的時間では新しいことが何も起こらない。他方、進化論や生物学の非可逆的時間では、たえず新しいことが起こってくる。ベルグソンはこのちがいを強調したのである。生気論(vitalism)と機械論(mechanism)との間の古くからの論争の中心問題は、おそらくニュートン物理学が生物学を扱うための枠としては不適当ではないかという認識にある。しかもこの論争は、唯物論の侵入に対抗して霊魂や神の痕跡だけでも何等かの形で保とうという望みによって、よけい複雑になったのである。(中略)なるほど、新しい物理学における物質は、ニュートンの物質とはちがうが、生気論者の希望する擬人化されたものとははるかに遠いものである。量子論者のいう偶然は、アウグスチヌスの倫理的自由ではなく、テュケーはアナンケに劣らず無情な女神なのである。
(「第1章 ニュートンの時間とベルグソンの時間」から)