プルタルコス英雄伝(上)

プルタルコス英雄伝〈上〉 (ちくま学芸文庫)

プルタルコス英雄伝〈上〉 (ちくま学芸文庫)

プルタルコス英雄伝(対比列伝ともいう)の中から19名を取り出して邦訳したものです(全3巻)。全部を訳したものには岩波文庫の河野与一訳「プルターク英雄伝」(全12巻)がありますが、旧漢字旧かなづかいで読みづらいので、この本を買いました。(上)には以下の8名の伝記が収録されています。

  • テセウス     太田秀通訳
  • リュクルゴス   清水昭次訳
  • ソロン      村川堅太郎訳
  • テミストクレス  馬場恵二訳
  • アリステイデス  安藤弘訳
  • ペリクレス    馬場恵二訳
  • アルキビアデス  安藤弘訳
  • デモステネス   伊藤貞夫訳

全員ギリシア人、そしてリュクルゴスだけがスパルタ人で、あとは全員アテナイ人です。
私は当初本書を幾分信用のおけない大げさな話、時にはおもしろい話という認識で読んでいたのですが、あるとき塩野七生さんが「ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にして成らず」で書かれた以下の文章に出会い、目を覚まされました。

愉しいエピソードが満載されているからただ単に面白いだけの書物かと思うと、完全にまちがう。実に鋭い指摘が随所に散らばっていて、革命家タイプの人物には点がカライという点は措いても、歴史家としての洞察の深さには感嘆するしかない。相当に調べた上で書いたらしく、史料としても一級である。

塩野七生著 「ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にして成らず」の「ひとまずの結び」より

プルタルコスのこの本に描かれているのは政治という舞台を通してみた人間の生き方なのでしょう。
今回は自分にとって一番なじみのなかったデモステネスを読み直しました。努力によって雄弁家になった彼は、当時、勃興しつつあった北のマケドニア王国に対するギリシア諸都市の独立を説き、諸都市連合軍を実現します。しかしマケドニアとの戦争では、勇気を示すことなく逃げてしまいます。それでもマケドニア王フィリッポス2世の死をきっかけに再度、そしてその子、有名なアレクサンドロス大王の遠征上での死をきっかけに三度、反マケドニア運動を起こすが、ついにはマケドニア王アンティパトロスの追手につかまりそうになります。カラウリア島のポセイドン神殿まで逃げますが、そこにも追手がやってきたので服毒自殺します。全面的に賞賛出来る人物ではないのですが、いくつか光る記述があると思いました。(カッコ内はCUSCUSの補足です。)

しかし(フィリッポスは)酔いから醒めて自分を捲き込んだ戦闘の重大さに思い至ったとき、演説家(デモステネスのこと)の才能と力とに戦慄を覚えた。彼はデモステネスのお蔭で、一日の僅かな時間の中に覇権と自らの生命とを賭けるという冒険を余儀なくされたのであった。

(デモステネスは追手に対して)「・・・しばらくそのままで居てくれ給え。家の者たちに書き送ることがあるから」と言った。そう言い置いて(カラウリアのポセイドン)神殿の中に引き込み、一葉のパピルスを手に取って、書き出そうとするかのように葦の筆を口元にもっていった。思案しながらものを書くときいつもするように、その筆を噛んで、しばらくそのままにしていたが、やがて頭から衣をかぶると、うつぶせになった。・・・・デモステネスは体内に毒が充分にまわって効き目が現れたことに気づくと、頭の覆いを脱ぎ、(追手を指揮する)アルキアスの方を見やって言った。「さあ、早く悲劇のクレオンの役を演ずるがよい。(アルキアスはかつて悲劇役者だった。デモステネスのこの言葉はソフォクレスの悲劇「アンティゴネー」のことを指している) この死体は葬らずに投げ棄てるのだ。敬愛するポセイドンよ、未だ息のあるうちに神域から立ち去ります。・・・・」そう言うと・・・廟を離れ、祭壇のかたわらを通り過ぎると同時に倒れて、呻き声を洩らすと息を引き取った。

「祭壇のかたわらを通り過ぎると同時に倒れて」というのは映画のワンシーンみたいです。
それにしても、どの伝記の背後にも私はローマの平和を感じます。プルタルコス五賢帝の2番目トラヤヌス帝の時にこれらの伝記を書いたのでした。