その後のオデュッセウス

高津春繁著「ホメーロスの英雄叙事詩」から

トロイエー物語の最後を成す『テーレゴネイア』は、オデュッセウスの帰国後の後日譚である。ペーネロペイアの求婚者たちは血族の人々によって葬られる。オデュッセウスは自分の島イタケーの対岸にあるエーリスへと自分の家畜を見廻りに行ってから、国に帰って、テイレシアースに言われたとおりに犠牲を捧げて、再び国を出て、テスプローティスに行き、そこの女王カリディケーと結婚し、一子ポリュポイテースを儲けてから、イタケーに帰る。一方、オデュッセウスとキルケーの子テーレゴノス Telegonosは、父を探し求めて旅し、イタケーの島に上陸、島を荒らす。オデュッセウスはこれを防ぐべく出陣し、知らずして子が父を殺してしまう。自分の過ちを知ったテーレゴノスは、父の死骸をペーネロペイアとテーレマコスと一緒に母の島に運び、そこでキルケーは彼ら三人を不死とし、テーレゴノスはペーネロペイアと、テーレマコスはキルケーと結婚するという奇怪な話でこの作品は終わっている。

上記の引用で「テイレシアースに言われたとおりに犠牲を捧げて、再び国を出て、」というのは、「オデュッセイア 第十一書 (呉 茂一訳 岩波文庫)」に出てくる、予言者テイレシアースがオデュッセウスに忠告して言う以下の箇所を指している。

ところでもしも、求婚者どもを、そなたの屋敷のうちであるいは
計略により、あるいはまた明らさまに鋭い青銅(の刃)で、殺害しおえた
その上は(手に)よく適った櫂を取り持ち、海というものをいまだ見知らぬ
男たちの住まうところへ辿りつくまで、行程をすすめるがよい。
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なお、プルタルコスの「ロムルス伝」によれば、オデュッセウスとキルケーの息子にロマノスというのがいて、これがローマを建設したという伝説があるということである。