ポポル・ヴフ

さあ、ポポル・ヴフだ!
自戒。酔ってブログにコメントを書かないこと。」に登場した重い思い出の本、私がid:phoさんに変なコメント(ここです!)を送った、もとネタの本ですね。
私の書いたコメントは以下の通りです。

id:CUSCUS 「・・・・彼らはじゃがーるやぴゅーぱじゃないのだ。だからじゃがーるやぴゅーまのまねをしてもこわくはないのだ・・・」と、それはわたし

本を引用したつもりが、ぜんぜん違いますね。本当はこう書かれています。

「あれは狼(コヨテ)や、山犬や、じゃぐゎーるやぴゅーまの叫び声だ。彼らは動物の叫び声を出して、人間ではないように見せかけているのだ。われらをみんな騙そうとしてやっているのだ。彼らは何かをたくらんでいるのだ。彼らはあんなことをやっても、自分ではこわくないのだ。人が道を一人、二人通ると見ると、たちまち、じゃぐゎーるやぴゅーまの叫び声をあげるというのは、何かを考えてのことだ。彼らはわれらを全滅させてしまおうと考えているのだ」


「ポポル・ヴフ 第四部 第一章」より

これだけでは何だか分かりませんね。でも、おどろおどろしさは感じられたのではないでしょうか。ひらがなで書かれた「じゃぐゎーる」「ぴゅーま」はこわいですね。こわい本なんですよ。ええ、とても残酷です。繊細で残酷。挿絵はプリモ・デ・リベラ。これも残酷で繊細。

「よし。それでは、これから踊りをやってみせろ。しっかりやって、おれたちを喜ばせるのだ。ほうびには何が欲しいか」
と、二人に言った。
「いや、何もいりません。ただ、私たちは、踊るのがほんとうに恐ろしいのです」
と、主に答えた。
「心配するな。惧(おそ)れることはないぞ。さあ踊れ。まず、殺し合いの踊りをやれ。それから、おれの館を焼いてみせるのだ。そして知っていることは、何でもみなやってみろ。おれたちは、おまえたちの踊りを見て楽しもうと、わくわくしているのだ。踊りがすんだら、家へ帰れるようにほうびもとらせてやる、さあ、哀れなやつらよ」
と、主たちが言った。
 そこで二人の歌と踊りが始まった。シバルバーの連中は彼らの踊りを見ようと、みんな集まってきた。まずクッシュの踊りが始まり、プフイの踊りとイボイの踊りがこれにつづいた。
 やがて主が、「おれの犬をずたずたに切ってみろ。そして、すぐよみがえらせてくれ」と言った。二人は、「かしこまりました」と答えて、ただちに犬を寸断し、これをまたすぐに生き返らせた。犬は生きかえると、うれしそうに尻尾を振った。
 すると・・・・・・


「ポポル・ヴフ 第二部 第十三章」より

これは残酷。

 ここには、すべてが静かに垂れ下がり、すべてが動くこともなく平穏にうちしずみ、空がただうつろにひろがっていた模様が語られる。
 これはその最初の話、最初の物語である。人間はまだ一人もいなかった。獣も、鳥も、魚も、蟹もいなかった。木も、石も、洞窟も、谷間も、草や森もなく、ただ空だけがあった。・・・・・・
 そして創造主(ツァコル)と形成主(ビトル)、テペウとグクマッツ、アロムとクァホロムだけが水のなかに光り輝いていた。緑と青藍の羽根につつまれて光り輝いていた。それゆえその名をグクマッツといった。


「ポポル・ヴフ 第一部 第一章」より

これは荘厳。


で、この本にはかつて三島由紀夫が「讃」を書いています。

ポポル・ヴフ讃 三島由紀夫
 メキシコのマヤ文化の古事記ともいふべきポポル・ヴフが、林屋永吉氏によつて本邦にはじめて紹介されたことは、喜びに堪へない。ある考古学者はマヤ族を新世界のギリシア人と呼んでゐる。この聖典はマヤの万神殿(パンテオン)を形成する神と英雄との物語で、そこに猛威を振ふ太陽の力のすさまじさは、今日なほ、密林に包まれたマヤの廃墟のかたはらで如実に味はふことができる。魅力あるメキシコの風土とそのダイナミックな暗い活力は、ポポル・ヴフの中に、神話的叙述をとほして、ありありと感じられる。