三韓昔がたり 金素雲

戦時中の本の再刊です。なまじ私が解説を書かず、この本の本文と解説を読んで頂いたほうが、いろいろなことを感じて頂けるような気がして、書くのがためらわれます。たとえば、あの当時、日本語でかかれた韓国の神話伝説集であること。著者が韓国人であること。そこからいろいろなことを読み取って頂けるのではないか、と思います。

私は鉄甚平と名乗つたのです。あれは金素雲などといふ名では決して本を出したりはできない時代でした。仕方がないから日本人と聞える様な名にした。鉄は金を失する、で、金とは名乗れないのでそのことへの自嘲の意味をこめてつけたのです。


三韓昔がたり」「解説」より


そして韓国の神話伝説が簡潔でよく練られた日本文で描かれていることにも、いろいろ考えさせられます。

品日は、わが子をよんで、いつた。
「お前は、年こそ若いが、もう立派な一人前の武人(もののふ)だ。味方が苦戦におちてゐる。今こそ男子の名に恥じぬはたらきをして、味方を励ますがよい」
官昌は勇み立ち、瞳をかがやせて答へた。
「もとより、命はないものと覚悟してをります。父上の子です。見てゐて下さい」
 さういつて馬にまたがるなり、槍を横たへて敵陣深く突入つた。そして、またたく間に四、五人の敵を突伏せると、力つきてその場に捉へられ、敵将階伯(かいはく)の前に引据ゑられた。
 階伯は、虜(とりこ)のかぶとをぬがせてみて、それがまだ十五、六の少年だとわかると心から感じていつた。
「なるほど、新羅の強いわけがわかつた。少年にさへ、この勇気があるのだもの」
 そういつて、頼もしさうに、若武者の顔を見下した。


三韓昔がたり」「黄山の戦」より

また、戦後は韓国で「親日派」(これは否定的なレッテル)と呼ばれたが1977年になってその文業が称えられることになったこと。日韓のはざまに翻弄された人の、日韓のはざまに生れた優れた本の一つです。


三韓昔がたり』と名づけたこの本の中には、古い昔から朝鮮にあった、さまざまな語りぐさが集められてゐる。およそ四十あまり----。戦ものがたりや、忠義の話もあるが、ところどころ、思はず顔のほころびるやうな気軽な話も取入れておいた。いづれも、きみたちには、はじめて聞く耳新しい話だ。それだけに何かきみたちを、考へさせるものがあるだろうと思ふ。古いことを通して、一つでも多く新しい意味を学び取らう。


三韓昔がたり」「はしがき」より

旧かなづかいが気にならなければ、韓国の神話伝説を知るのにおすすめの本です。

  • 私はここに日本書記に書かれている日本(当時は「倭」)側の伝説も入れて「倭韓古記」とでもいうべきものを書きたいと思ったことがありますが、両国の伝説がかみ合わなくてうまくいきませんでした。