プルターク英雄伝(一)(つづき)

前日の話でギリシアの英雄時代の最後について、さみしい英雄の最後を思わせる逸話を紹介しましたが、もう一つ、英雄がついに崇拝されるに到るような逸話もこの本の中にあります。テーセウスの話です。
テーセウスは数々の偉業のあと、民衆に疎まれるようになります。メネステウスという者が民衆を組織してテーセウスを追放してしまいます。彼は亡命先のスキューロス島で亡くなります。スキューロス島の王リュコメーデースに騙されて崖から突き落とされた、という説と、誤って滑って落ちた、という説があります。ここでプルタルコスはこう書きます。

その当座は誰一人テーセウスが死んだことを問題にしなかった。メネステウスがアテーナイの王となり・・・・

神話の話とは言え、「その人はすでに過去の人だった」みたいな話でシビアです。ところがその何百年もあと、ギリシア人がペルシア戦争を戦うことになった時に、人々の前にテーセウスが現れたのだといいます。

殊にペルシャ軍に対して戦ったマラトーンの人々のうちにあ、武器を着けたテーセウスの姿が自分たちの前に進んでペルシャ兵に向かって行くのを見掛けたという者が少なくない

ペルシア戦争の後でデルフォイの神託はアテーナイの人々に「テーセウスの骨を持ち帰り自分たちの町に恭しく納めて守れ」と命じます。

しかしそれを取りに行くこと、墓を見つけ出すことは、そこに住んでいるドロペス族の鎖国と狷介のために困難であった。それにもかかわらずキモーンは、私*1がその伝記に書いておいたように、島を占領し、苦心の末、神の遣わした幸運によるものか、一羽の鷲がある丘のような場所でくちばしでつつき爪で引っかいているのを見てはたと悟り、そこを掘り返したそうである。すると大きな体の入った棺とそのそばに青銅の棺と刀とが見出された。これをキモーンが三層艪船に載せて運んで来た時、アテーナイの人々は喜んで、ちょうどテーセウス自身が町に帰って来でもしたように、華々しい行列と犠牲の式を以って迎えた。

数百年経ってテーセウスは自分を追放した町に迎えられたのでした。これももう一つの英雄時代の最後を物語る話でしょう。