プルタルコス英雄伝(中)

またしてもプルタルコスプルターク)です。こんなに何回も登場するのは、岩波文庫版のとは別にちくま文庫版のものも買ってあったからです。このちくま文庫の(中)には、以下の人物の伝記が収録されています。


今回、この本を取り上げるに当って、何か読んでおかなければと思い、アレクサンドロスを読みました。
今までプルタルコスの英雄伝を読んできて、どれも読みづらいな、と(岩波でもちくまでも)思っていたのですが、このアレクサンドロス例外的に読みやすくて、どんどんページが進んでいきました。天性に恵まれた若者が空前の事業を次から次へと達成し、そのことによって徐々に誇大妄想に蝕まれていく様子がリアルに描かれています。そして若くして病死したことで、その否定的な面が顕在するのを防いでくれたかのように見えます。


アレクサンドロスがペルシア帝国に侵入してペルシア王ダレイオス3世に初めて大勝したのは前333年、イッソスの戦いにおいてで、この時彼はまだ23歳でした。この時は残念ながらダレイオス3世を捕らえることは出来ませんでした。

マケドニア人はペルシア軍の陣営からいろいろの財宝を掠奪したが、その数量たるや、ペルシア軍が戦闘行動のために多くの荷物をダマスコスに置いて来たにもかかわらず、きわめて多く、アレクサンドロス自身のためにはダレイオスのテントがとっておかれ、立派な召使、家具、多くの財宝が満ちていた。・・・・・そして全部黄金で出来て見事に細工がされた大きな鉢、水差、浴槽、香油瓶などを見たが、その室は香料、香油の霊妙な香りが満ちていた。そこからテントにはいりその大きさ、高さ、寝台や食卓や食物そのものの飾りまで驚嘆に値するのを見ると、ヘタイロイ*1をかえりみて、「これが王の生活というものなんだな」と言った。

彼は初めて、ギリシアマケドニアを含む)世界の王とは規模の異なるペルシアの王の富を見て驚きます。


その後彼はペルシア領内で勝ち続け、首都のひとつペルセポリスに入城します。25歳の時です。

ヘタイロイの酒宴と遊びに加わることがあったが、そこには女たち*2も恋人たちのところに来て、共に飲み、さわいだ。その女たちの中で最も有名なのは後に王となったプトレマイオスの愛人でアッティカ生れのタイスで、彼女はたくみにアレクサンドロスをほめたり、からかったりしていたが、酒がすすむとともに彼女の生国の風習にはふさわしいが、その分際から考えると身の程をしらない大演説をはじめた。すなわち、アジアをほっつき歩いて苦労して、今日という日はペルシア人の立派な宮殿で豪勢なことをしてお返ししてもらったけれど、アテナイを焼いたクセルクセス*3の家を底抜けに騒いで焼いちゃおう。私が王様*4の見ている前で火をつけて、アレクサンドロスと一緒にいた女たちが陸海軍の将軍さんたちよりももっと立派にギリシア人のためペルシア人に復讐したと人々の話に伝えられたらば、もっといかすわねと言ったのである。この演説とともに拍手喝采がおこり、ヘタイロイも名誉心に駆られすすめたので、王も説き伏せられ、とび上って冠をかぶり、たいまつを取って先頭に進んだ。一同は歌ったり叫んだりしながら続き、王宮を取りまき・・・・

アレクサンドロスとその仲間たちは首都ペルセポリスの壮麗な宮殿を焼いてしまおうとしたのでした。もっとも、アレクサンドロスはすぐに後悔して、火を消せ、と命じたそうですが。もう、このころには彼のまわりには誇大妄想の雰囲気がただよい始めていたようです。


やがてダレイオス3世は身内に裏切られて暗殺され、ペルシア帝国も滅亡してしまいます。しかし、アレクサンドロスは遠征を止めません。東へ東へと軍隊を率いていきます。


そして、彼はだんだん、ギリシアの風習から専制的なペルシアの風習に切り替えて行き、ペルシア風のひざまずく礼を強制したり、ペルシア人やメディア人を部下にしたりしていきました。これは昔からアレクサンドロスに親しく接し協力してきたマケドニア人たちに不満を抱かせる結果になりました。アレクサンドロスの父王フィリッポスの頃からマケドニア王家に仕えてきたクレイトスが酒宴でアレクサンドロスと口論になり、アレクサンドロスに殺されたのは、そのひとつの表われでした。

酒宴はにぎやかになり、プラニコス、ある人々によればピエリオンという人の作った、最近蛮族に敗れた将軍たちをはずかしめ、嘲笑する歌が歌われた。老人たちは気にさわって詩人と歌手を非難したが、アレクサンドロスとその周囲のものは喜んで聞き、歌えと命じた。クレイトスは既に泥酔しており、生れつき怒りやすく我の強い人であったから、非常に怒り、毛唐(バルバロイ)や敵の中でマケドニア人を侮辱するとはもっての他で、彼らは運が悪い目にあったが、笑っている連中よりも上なのだと言った。アレクサンドロスがクレイトスは臆病を不運だと言って自己弁護しているのだと言うと、クレイトスは立ち上って「だが、その臆病が、神々の子と言いながら、もうスピトゥリダテスの剣に背を向けていた方*5をお救い申したのですぞ。またマケドニア人の血とこんな傷のお陰であなたはフィリッポスが父であることを否み、アムモン*6の子と言うようになったのですぞ」と言った。
 アレクサンドロスはかっとして「一体貴様という奴はいつも私のことをそんなに言ってマケドニア人を分裂させようとしているが、それですむと思っているのか」と言った。クレイトスは「今となってはすむもすまないもない。苦労の末がこんなになったのを見ると、マケドニア人がメディア人の鞭で打たれたり、王に会うのにペルシア人に頼まなければならないのを見るより先に死んだ人を祝っている程だ」と言った。

そこでアレクサンドロスは護衛兵の一人から槍を奪い、クレイトスが彼の方に進んで来て戸口のカーテンを開いたところを突き刺した。しかしクレイトスが呻き叫んで倒れるとたちまち怒りは消え、我に返ってフィロイ*7たちが言葉もなく立っているのを見ると死体から槍を抜いて自分ののどに突き立てようとしたのを、親衛兵たちがその手をおさえ、無理に自分の部屋につれて行った。


アレクサンドロスとそのマケドニアの軍隊はガンジス河まで到達し、その手前でインドの土侯の一人ポーロスを降しますが、マケドニア兵たちはここでアレクサンドロスに逆らい、これ以上進むのを拒否します。

ポーロスに対する戦闘はマケドニア兵の意気を喪失させ、インドをそれ以上前進するのを躊躇させた。というのは2万の歩兵と2000の騎兵を備えたポーロスを漸く撃退したわけだったので、ガンジス河が幅32スタディオン、深さ100オルギュイアもあること、対岸には多数の武器、馬、象でいっぱいであることなどを聞くと、この河を強行渡河しようとするアレクサンドロスに激しく反対した。伝えられる所では騎兵8万、歩兵20万、戦車8万、軍象6000をひきいたガンダリダイ族、プライシオイ族の王がまちかまえていた。

もう、アレクサンドロスも引き返さざるを得ません。5年前にペルセポリスの宮殿を焼こうとした時の高揚感はどこにもありません。


アレクサンドロスはその3年後、バビロンで熱病のため死去しました。32歳でした。

*1:アレクサンドロスの取巻き連中

*2:軍隊に付いて来ているのだからどうせ怪しげな女たち

*3:ペルシア王クセルクセスがアテナイを占領して焼いたのは前480年のこと。あなた、それは150年も前の話でしょ!

*4:アレクサンドロス

*5:アレクサンドロスのこと

*6:エジプトの大神

*7:ヘタイロイに同じ。アレクサンドロスの取巻き連中。