プルースト「失われた時を求めて――コンブレー」を読書中(5)

今日は、165ページまで。
今日、読んだところは少年時代の主人公が読書に夢中になるところと、ベルゴットという(架空の)小説家に特に夢中になる話です。それにからんでベルゴットの名を主人公に教えた同級生のブロックというのが登場します。ブロックは変な(無作法な)少年です。それからベルゴットが女優のラ・ベルマを賞賛していることを知ると、ラ・ベルマを実際に見るより前にラ・ベルマのことを好きになります。読書に夢中になっているところでの(これらはもちろん、主人公の長い長い回想の一部なのですが)以下の考察は、少年時代に行った考察ではなくて、きっと今の(おそらく40代の)主人公の考察なのでしょう。私には難解です。

 ある本を読んでいるとき、その本に描かれている地方を訪ねることを両親がゆるしてくれたら、私は真実をかちとることに向かって貴重な一歩をふみだすように思ったであろう。なぜなら、人は、自分の精神にいつでもとりかこまれている、という感じをもっているにしても、それは動かない牢獄にとじこめられているのとはわけがちがうのであって、むしろ自分のまわりに、外界のこだまではなくて内心の顫動のひびきのほかならないつねに同一の音響をたえず耳にしながら、一種の失望感を抱いて、精神のかこいを乗りこえ、外部にのがれようとする、そんな不断の飛躍のなかに、人はいわばその精神ごとはこばれてゆくのであるから。

「なぜなら・・・」以降の文章は分かったようで分からないです。