半世紀

びっくりすることに、今日で半世紀生きてきたことになります。いろいろあったが概して平穏な人生でした。そのことには感謝しています。まず、戦争を体験せずにすんだこと。家庭を持てたこと。まだ向上心を捨てていないこと。大病をしなかったこと、今、していないこと。


もちろん、不安はあります。不安はたぶん私の幼い時からの心の基調低音でしょう。しかし、こうも思えてくるのです。これから何が起ころうと、今までこのように生きてきた、体験してきた、という事実は否定されない、と。


しかし、それもやがては消えていくのでしょうか。思い出の風景はかつての風景ではもうありません。故郷に帰るたびに思うことですが、自分の記憶にある故郷との乖離が大きくなって、結局、故郷ではない別の場所に来ているような気がするのです。そのように私の記憶の中で大切だと思っている出来事の背景になった風景の多くが変化して今では別のものになっています。その場所に行ってもそれは私の行きたかったその場所ではない。人が思う場所というのは単なる場所ではなくて本当は時間と場所なのですね。


無常観というものがありますが、本当の無常というのは、単に常ではない、常なものはない、というニュートラルなものであって、衰亡史観とは別のものと思います。ならば、未来にも喜ばしい変化が待っている、と考えるべきなのでしょう。このブログに掲げているリグ・ヴェーダの言葉のように「いまだ輝かざる暁の数は、げに多かり」でしょう。

      • 前も貼り付けたけど、この曲、好きです。0:09のところの高音が何ともいえずに好きだ。