世界の測量

id:paseyoさんの「読了:世界の測量 ガウスとフンボルトの物語(ダニエル・ケールマン)を読んで

  • CUSCUS
    • ううっ、とても読みたいです。きっと読むでしょう。「世界の測量」ですねっ!
  • paseyo
    • タイトルからしてそそりますよね。だって「世界」で「測量」ですよ? きっと近藤さんはお好きだと思いますよ。

というやりとりがあって、この土曜日に図書館から借りてきました。


19世紀のドイツ人科学者2人、数学者、天文学者、物理学者のガウスと、博物学者にして探険家のフンボルトの、バイタリティがありすぎてはた迷惑な生き方を乾いたユーモアで描いた物語で、特にフンボルト探検バカ一代のような生き方がおもしろかったです。晩年の(表面的な)名声と(実質的な)孤独も描かれていて、深みがあります。時代はナポレオン戦争をはさむ時期です。


でも・・・・・・一杯、宿題を貰った気分です。というのも、私はガウスフンボルトもそれほど知ってはいないのです。この本はあとがきにあるように

ケールマン*1は膨大な量の文献や書簡に目を通したようだが、もちろんこの小説自体は「史実に忠実な」作品ではない。

のですから、ある部分まではフィクションなのですが、この時代のドイツ史にうとい私は、どこまでが史実でどこまでがフィクションなのか判然としません。この本はドイツでは大評判をとったそうですが、ドイツ人ならばちょっとしたエピソードにも、ああ、あの話ね、と分かるところが多いのではないでしょうか。日本人のために注釈をつけてくれたらもっと面白かっただろうと思います。

たとえば、私は気になっている箇所にこんなのがあります。

オイゲン・ガウス(=ガウスの息子)はベルリンをさまよい歩いていた。(中略)ある街角で、同じように田舎からやって来て、都会に圧倒されていた若い司祭と会話を交わした。
 数学ですか、と司祭は言った。実に興味深い!
 そうでしょうかね。
 私はユリアンと申します。
 両者はおたがいの幸福を祈って別れた。

このユリアンって誰なんだろう、と気になっています。この人物はこの箇所にしか登場しません。作者はわざわざ名前を明らかにしているので、そこに作者の意図があったように私には思えます。


もうひとつ。こんな箇所

 ガウスはうなずくと扉に向かって歩いた。フンボルトが、ちょっと待ちなさい、王がお待ちになっておられるのですぞと叫ぶ声が聞こえたが、もう我慢できなかった。死ぬほど疲れていた。口髭をはやした憲兵隊の司令官とぶつかりそうになり、おたがいに相手をよけようと左右に身体を動かしたが、最終的にすれ違うことができるまでにはしばらく時間がかかった。クロークでは、顔にいぼのある男が学生たちに囲まれていた。男は冗漫なシュヴァーベン方言で毒づいていた。自然科学者なんてのは、知ったかぶりをする者たちであって、何の展望もなく、論理的でなく、退屈な連中だ。やつらにとっては、星ですら単なる物質でしかない! ガウスは建物の外に出た。

ここに登場する顔にいぼのある男は、名前は書かれていないが、たぶんヘーゲルだろう、と思います。


こういうしかけがこの本のあちこちにありそうな気がします。

*1:この本の著者