形而上学(上)   アリストテレス


アリストテレス形而上学は全13巻。このうち第8巻までを(上)が収めています。
伝統的にこの形而上学は、各巻にギリシア語のアルファベットが割り付けられていて、そのアルファベットで巻を指し示すのが習慣になっています。
第1巻はΑ(アルファ)
第2巻はベータではなくてなぜかスモールアルファ(α)。これはたぶん、第2巻が短いせいでしょう。
第3巻はΒ(ベータ)
第4巻はΓ(ガンマ)
・・・・・・・
という具合です。


ではでは、この各巻の内容はどんなものなんでしょうか? 
その前に一言、注意書きを言わなければなりません。アリストテレス先生はこの本の中で一度も「形而上学(メタフィジカ)」なる言葉を書いていません。「形而上学」という言葉は後世の人がつけた名前です。ではアリストテレス先生自身はこの学問をどんな名前で呼んでいたかというと、これが1つではないんですね。「我々の求める学」とか「第一哲学」とかはては「神学」とか「存在としての存在の研究」とか呼んでいます。


それからもう一つ、注意書き。すみません。
日本語で考えるとこの形而上学がよく分かりません。中学に習った英語を思い出しましょう。この本で「存在」と言っているのは「be動詞」のことです。「彼女はきれい」と日本語で言っても「ある」という言葉は出てきませんが、英語では「She is beautiful」となって「be動詞」が現れます。私はギリシア語が分かりませんが、たぶん、英語と似た構文法でしょう。この「be動詞」の意味を探求するのがこの学(の少なくとも主要なテーマのひとつ)です。


この(上)には、Α(アルファ)、α(小アルファ)、Β(ベータ)、Γ(ガンマ)、Δ(デルタ)、Ε(イプシロン)、Ζ(ゼータ)、Η(イータ)の巻が収録されています。

Α(アルファ)の冒頭

  • すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。
      • トリビアの泉」で取り上げられて有名になった一節です。Aでは最高の知恵とはどのような性質を持つ知恵なのか、という問いと、それに対して、普遍的、理論的な、物事の原因に関する知恵である、という答が登場します。そして、原因というものについて古来の哲学者の説を検討し、結論として原因には、4つ、すなわち、質料因、始動因、目的因、形相因、があるとしています。


α(小アルファ)の冒頭

  • 真理についての研究は、或る意味では困難であるが、しかし或る意味では容易である。
    • この巻は短いのですが、形而上学というより、一般に学問を学ぶ際の心構えを記しています。


Β(ベータ)の冒頭

  • 我々の求めている学のためにまず第一に立ち入って論じておかねばならないのは、そこで第一に論議されるべき種々の難問についてである。
    • この巻は難問を列挙しています。しかし、この難問自体が古代ギリシアから時間的にも空間的にも離れた現代日本の私たちには意味がよく分からないものが多いです。難問の答が分からないのではなくて難問の意味するところそのものがよく分からないのです。例えば、こんな難問が登場します。
      • ものの原理とか構成要素とかいうのは、果たしてそのものの類のことなのか、それともそのものに内在する構成部分のことなのか。

Γ(ガンマ)の冒頭

  • 存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもをも研究する一つの学がある。この学は、言わゆる部分的諸学のうちのいずれの一つとも同じものではない。というのは、他の諸学のいずれの一つも、存在を存在として一般的に考察しはしないで、ただそれのある部分を抽出し、これについて付帯する属性を研究しているだけだからである。
    • 「存在を存在として研究・・する一つの学がある。」 形而上学の成立宣言ですね。しびれます。ところがこの巻の議論は、なぜか論理学の基礎のような話になっていき、矛盾律排中律の検討をしています。

Δ(デルタ)の冒頭

  • 事物のアルケー[始まり、原理、始動因]というのは、まず、当の事物が第一にそこから運動し始めるところのその部分[運動の始まり、出発点]を意味する。
    • この巻は哲学用語辞典です。もちろん用語は古代ギリシア語です。なので、日本語では、この概念とこの概念を同じ言葉では言わないぞお、というところに出くわします。この「アルケー」という言葉もそうで、日本語では原因だったり、始まりだったりします。


Ε(イプシロン)の冒頭

  • 我々の求めているのは、諸存在の原理や原因である、ただしここでは、言うまでもなく明らかに、存在としての諸存在のそれらを求めているのである。
    • この巻では「存在」という言葉の意味を4つ挙げています。
      • 1)付帯的な存在
      • 2)真としての存在と偽としての非存在
      • 3)述語の諸形態としての存在
      • 4)可能的な存在と現実的な存在
    • そして、1)と2)については本来的な存在ではないとして、この考察から除外されるべきものであるとしています。

Ζ(ゼータ)の冒頭

  • あるというのに多くの意味がある、このことはさきに各々の概念の諸義をあげた個所で我々の区別した通りである。
    • 前の巻をうけてこの巻では前の巻で挙げた3)述語の諸形態としての存在を分析します。これは
      • なにであるか?
      • どのようにあるか?
    • に分かれるが、第一に研究しなければならないのは「なに」であるか、という概念であるとし、これを「実体(ウーシア)」と呼びます。そして何が実体であるかが検討されていきます。ここから「質料」と「形相」という概念が現れます。


Η(イータ)の冒頭

  • 以上の所論からの諸成果を数えあげ、その主要な点を総括して、我々の研究に結末をつけねばならない。
    • 「質料」と「形相」の概念と「可能態」と「現実態」の関係が検討されます。




形而上学(下)」に続きます。