思い出す事など 夏目漱石 (6)

そろそろこの本を読むのにもケリをつけてしまいましょう。
「思い出す事など」は、ここで全文読むことが出来ます。

第28節

  • 若い頃、漱石が下宿していた寺の和尚が副業で占いをやっていたという話で、ある時、ひょんなことで観てもらったら、親の死目に会えない、西へ西へと行く相がある、髯をはやすと土地が買える、と言われたということです。そして最初の2つは当たったが、最後の託宣は、髯はいつも剃っているのが習慣なので当たっているかどうか分からなかった。しかし、修善寺で病気に倒れてからは髯が伸び放題になったので、いよいよ和尚の3番目の託宣が実現しそうになった。でも、むさくるしく感じたので、ある日床屋を呼んで剃ってもらった。そんな話です。

ひとり妻だけはおやすっかり剃っておしまいになったんですかと云って、少し残り惜しそうな顔をした。妻は夫の病気が本復した上にも、なお地面と居宅(やしき)がほしかったのである。

  • ユーモアのある描写です。ただ、その先を読んでいくと、何というか、漱石自身も予想もしていなかっただろう、運命の不思議さを感じさせます。

地面と居宅は当分断念したか、または老後の楽しみにあとあとまで取っておくつもりだったと見える。

  • 漱石に「老後」はありませんでした。この6年後、漱石は49歳で亡くなりました。

第29節

  • 修善寺(地名)には修善寺という寺があって、そこでは夜明けを知らせるのに太鼓をたたくのだ、という話です。いつも臥せっていて夜明けを待つ漱石はその音を心待ちにしていた、ということです。この節はその頃の心細い心情が語られています。

第30節

  • 他の章は今までいつかは読んだ記憶があるのですが、この章だけは読んだ記憶がありません。読んでみると自分にすっと入ってくる内容なので、なぜ今まで読んだことがなかったのか不思議です。病気の漱石のために人々が山に入って草花を採ってきた、という話です。

第31節

  • 病から回復しつつあった時、鏡で自分の顔を見たら、昔、若くして死んだ兄の面影をそこに認めた、しかし、兄との違いは今の自分の髪に白いものが交じっていたことだった、と述べています。漱石は白髪に老いを感じ、それに戸惑っています。

白髪に強(し)いられて、思い切りよく老いの敷居をまたいでしまおうか、白髪を隠して、なお若い街巷(ちまた)に徘徊しようか、

  • 私はとっくに白髪になってしまいました。しかもその髪の量も減っています。

第32節

  • 病もだいぶよくなって、そろそろ東京に戻ってもよい(汽車の旅に耐えられる)という頃の話です。もっとも東京に戻ってもまた入院するのですが。
  • 早く帰りたいと思っていたが、帰るのが2週間後と決まった途端、今の修善寺での生活が惜しく思われたそうです。それに関連しておもしろいことが書かれています。昔、漱石がイギリスに留学していた頃のことです。漱石は神経衰弱に陥って、他の留学生の中には「夏目は発狂した」と言う者もいたという状況でのことです。

かつて英国にいた頃、精一杯英国をにくんだ事がある。それはハイネが英国を悪んだごとく因業(いんごう)に英国をにくんだのである。けれども立つまぎわになって、知らぬ人間の渦(うず)を巻いて流れている倫敦(ロンドン)の海を見渡したら、彼らを包む鳶色(とびいろ)の空気の奥に、余の呼吸に適する一種の瓦斯(ガス)が含まれているような気がし出した。余は空を仰いで町の真中(まなか)にたたずんだ。

  • 「空気の奥に、余の呼吸に適する一種の瓦斯(ガス)が含まれているような気がし出した。」というのがいいです。私はその時の漱石の目を、表情を、何か映画の一場面のように想像します。自分の中で何かが組み変わる、そんな瞬間を思い浮かべます。
  • この節には私がいいと感じた個所がもう一つあります。それは雨の中、いよいよ修善寺の宿を去る馬車の中で寝ながら景色を眺めるところです。

馬は降る中を動き出した。余は寝ながら幌(ほろ)を打つ雨の音を聞いた。そうして、御者台(ぎょしゃだい)と幌の間に見える窮屈な空間から、大きな岩や、松や、水の断片をありがたく拝した。竹藪(たけやぶ)の色、柿紅葉(かきもみじ)、芋の葉、槿垣(むくげがき)、熟した稲の香(か)、すべてを見るたびに、なるほど今はこんなもののあるべき季節であると、生れ返ったように憶(おも)い出してはうれしがった。

  • 「なるほど今はこんなもののあるべき季節であると」というのが好きです。今まで外に出ることがなかったので、季節感があまりなかったのでしょう。それを今、さまざまなものを見て「なるほど今はこんなもののあるべき季節であると」感じるのは「生れ返ったように」うれしいものなのでしょう。
  • さて、叙述された時間からするとこの後に「第1節」が来るべきであることになります。ようやく修善寺での回想の輪が閉じました。


第33節

  • 最後の節です。病院で(東京の病院で)正月を迎えることになったことが叙述されます。そして二月の末になってようやく退院することが出来ました。

二月の末になって、病室前の梅がちらほら咲き出す頃、余は医師の許しを得て、再び広い世界の人となった。

  • そして

ふり返って見ると、入院中に、余と運命の一角(いっかく)を同じくしながら、ついに広い世界を見る機会が来ないで亡くなった人は少なくない。

  • と書いて、そのような人たちの様子が書かれています。

余はこれらの人と、一つ屋根の下に寝て、一つ賄(まかない)の給仕を受けて、同じく一つ春を迎えたのである。退院後一カ月余の今日になって、過去を一つかみにして、眼の前に並べて見ると、アイロニーの一語はますます鮮やかに頭の中に拈出(ねんしゅつ)される。

  • ここにある「アイロニー」を単に「皮肉」と訳してよいものかどうか。それにしても感じるのは、ここにあるのは悟った者の言葉ではない、旅を続ける者の言葉である、ということです。私たちは常に暫定的な者としてあるのでしょうか。