1 神話から歴史へ 日本の歴史

私の本棚を上から下へずっと見てきたのですが、ここから並んでいるのがこの「日本の歴史」シリーズです。1973年初版の古い本のシリーズなので、あまり紹介する意味もないような気もするのですが、(つまり学説が古いのではないかと思ってです) まあ、気軽に自分が感じたことを記していきます。


古代史を扱ったこの第1巻を読んでいて、現代史をついつい考えてしまいます。この本の記述の元になっているのは、戦前戦中の皇国史観からの脱却のあまり日本書紀を否定しすぎた戦後を再否定し始めた流れです。もう一度、日本書紀を取り上げよう、しかし文献批判を心がけよう、という動きです。この動きは今の学界も基本的に変わらないだろうと思うのですが、社会一般の思潮から考えると、この本の頃より社会は右傾化しているような気がします。私自身が歴史を習ったのがこの本が発行された年代だったからそう思うのかもしれません。



古代史は大好きで、日本人の起源とか、邪馬台国はどんな段階の国家だったのかとか、いろいろ興味がありますが、私が一番関心を持っているのは「任那日本府」問題です。しかし、これをネットで検索すると、結構、恐ろしげな記述に会うので、ここで書くと大変かもしれません。この本は古い本なので、任那日本府はあった、という説です。任那日本府とは、紀元4世紀から6世紀の間、朝鮮半島南部にあった日本(当時は倭)の統治機構、というものです。日本書紀にその記述があります。今では任那日本府はなかった、という学説のほうが日本でも主流ではないかと思います。この問題は日韓両国のナショナリズムの感性を非常に刺激する話題のようで、ネットでの話題のひとつになっているようです。私自身は、田中俊明氏の「大加耶連盟の興亡と「任那」―加耶琴だけが残った」

の記述に一番納得がいきました。それでもまだモヤモヤは残っていますが。