ポリネシア神話

私はポリネシアに伝わる神話に関する本(=情報源)を3冊持っています。

これらは同一の神話を伝えているのではなく、部分部分が異なった神話を伝えているところがうれしいです。この中で英雄ラタに関する物語は、特にそのバリエーションをくっきりと示してくれるので、私にとって大切な物語群です。
ラタの物語は以前のエントリ「木本祭(このもとさい)とラタ」に書いたように、ラタが自分の海での冒険のために必要なカヌーを作るために、森の木を切り倒すが、この時、神々や精霊への祈りを忘れたために切り倒された木が元のように戻ってしまった、という話が中心のようです。この部分は上記の3冊とも共通しています。しかし、それ以外の話になると大きく違っています。


ラタがカヌーを必要とする理由は、「オセアニア神話」と「ニュージーランド神話」では、死んだ自分の父親ワヒエロアの骨を取り戻すためでしたが、「偉大なる航海者たち」では、ラタの父親ヴァヒレオアの妻の兄弟たち、つまり伯父たち、の骨を取り戻すためでした。「オセアニア神話」と「ニュージーランド神話」では、死んだ自分の父親ワヒエロアの骨を取り戻すというところは同じですが、ワヒエロアを殺したのは「オセアニア神話」では鮫のマトゥク・タゴタゴでしたが、「ニュージーランド神話」ではマツク(この本ではトゥをツと表記しているらしい)という「残忍な酋長」ということになっています。そのため、なぜワヒエロアの骨が海の中にあるのかについて物語上ではあまり説明出来ていません。この物語に登場する男が「骨はここにはない、別の土地に住んでいる見知らぬ人間がここにやってきて運んでいったよ。そいつらは海の下に住んでいる人間だ」と答えることで物語りは海への遠征の話に続くのですが、これは苦しい筋運びです。きっとマトゥク・タゴタゴという名の鮫に喰われてワヒエロアは命を落とした、というのが本来のに近い話だったのでしょう。「偉大なる航海者たち」では、ラタの伯父たちが命を落とすのは海に住む大きなシャコ貝にカヌーもろとも飲み込まれたからでした。「偉大なる航海者たち」では、王とか摂政とかいう概念が登場して、他の2冊の話より文明化された雰囲気があります。
ここでは、「オセアニア神話」に紹介されているラタの物語をかいつまんで述べます。



水の妖精タヒチ・トケラウはプナの妻であったが、プナを捨ててワヒエロアのもとに走った。2人の間にはラタが生れた。プナは怒って呪術をかけた。そのため、ワヒエロアは鮫のマトゥク・タゴタゴに喰われ、タヒチ・トケラウはプナに連れ去られた。ラタは長じてから自分の父母の運命を、子供達の歌から知った。子供達はおもちゃの船で遊びながらラタの父母がどうなったかを歌っていたのだった。ラタは父親の復讐をすることを決意した。
そのためには立派なカヌーが必要だった。ラタは森に行って立派な木(トタラという種類の木)を見出し、それをカヌーにするために切り倒そうとした。しかし、その際、森の神タネに捧げるべき呪歌を歌うのを不注意にも忘れてしまった。その日は木を切り倒して枝を刈り落とすところまでやったところで夜になったのでラタは家に戻った。翌朝ラタが戻ってくると、例の木は枝も元通りくっついていてラタの昨日の骨折りがまったく夢だったかのように、すっくと立っていた。ラタはわけが分からずにまた、木を切り倒しカヌーを作り始めたが、この日もカヌーが完成するより前に日が暮れてしまった。翌朝、またこの木のところへラタが戻るとまたしてもこの木は元通り聳えていた。ラタは驚きあきれた。
ラタはカヌーを作る作業を行うと、その夜は家に帰らずに何が起るのかを隠れて見ていた。木を元通りにしていたのは森の神タネの子供たちである昆虫達であった。ラタが怒って飛び出すと、彼らはこう言い返した。
「おお、ラタ、そういったってこれはおまえさんの樹ではない。それを勝手に伐り倒す権利はおまえさんにはないよ。それにおまえさんは仕事にかかる前に歌わなくてはならぬタネに捧げる呪歌をやらなかった。おまえさんが呪歌をやっていさえすりゃ、なにもおれたちは、こんな樹を何度も持ち上げることなんかする必要もなかったのさ」
ラタは自分の過失を認めた。ラタを許した昆虫達は一晩で立派なカヌーを作り、虹に乗せてラタの家まで届けた。
ラタはそのカヌーに乗って、プナの領域の海に進んだ。そこで鮫のマトゥク・タゴタゴを見つけ、その腹から父親の頭や身体を取り出した。ラタはそれらを籠にやさしく安置した。次にラタはプナの島に進み、プナを投げ縄で捕らえ、その後、殺した。そして自分の母親を救出した。