7 鎌倉幕府 日本の歴史

この巻は、「6 武士の登場」の最後の時点から少しさかのぼって、1180年、源頼朝の伊豆での挙兵から始まります。そして、その時は都が平清盛によって福原に移されていたのであって、さびれた平安京の様子も描かれています。

 やがて廃墟の一劃から、かすかな楽の音が流れ、今様(当時の流行歌)をうたう声がそれにつづいた。

    • 古き都を来てみれば 浅茅が原とぞ荒れにける
    • 月の光はくまなくて 秋風のみぞ身にはしむ

三度くり返されて、歌ははたと止んだ。女たちのすすり泣きの声が聞こえてくる。

ここ平安京では平安貴族階級の斜陽の様子が描かれており、一方、東国伊豆三島では

・・・北条の村あたりから、突然一隊の騎馬武者たちがあらわれた。身なりもととのわぬ田舎武者の一群だが、ヨロイカブトに身をかため、完全武装でしきりとやせ馬を急がせている。(中略) 小だかい丘の上に立つ山木判官兼隆の館へと殺到した。
 夜討ちである。夜討ち朝がけはこの時代にそれほど珍しくはないが、山木兼隆といえば今を時めく平家の一門、(中略)目代といえば伊豆一国では最高の権力者ということになる。これほどの人物を襲撃するのはいったい何者だろう。襲撃隊のなかに一人、いかにも勝手を知ったようにしきりと指図をしている年のころ四十すぎの男がある。これこそ平生は国府につとめる下級の役人で、北条の村に館をかまえている北条四郎時政である。

という武士の台頭の一場面を描いて、この巻は始まります。


私は今まで源頼朝という人物は、伊豆鎌倉近辺をほとんど動かず、源義経源義仲のように長途進軍して合戦するような華々しさがないため、あまり興味を引かなかったのですが、この本を読んで、頼朝の政治家としての資質と人間としての魅力が少し分かったような気がしました。魅力といっても、頼朝は自分の権力を脅かす可能性のある者に対しては暗殺をためらわない非情な一面をもっていて、そういうところではぞっとします。しかし、彼はまだ表舞台に現れていない武士たちの潜在的な力を認識し、その上に新しい統治機構を構想する能力がありました。そして部下の一人ひとりの特徴をよく記憶し、適材適所を実行し、人心把握にも優れていました。ちょっととっぴな発想ですが、その政治的配慮の細かさが、初代ローマ皇帝アウグストゥスを連想させます。そしてその政治的配慮が身内のことでつまづいたのも似ています。今ある組織ではなく、情勢を把握して新しい組織を構築していく姿勢が、そしてその組織を、旧組織と一見整合しているかのように見せかけて、人々のコンセンサスを得るやり方が、二人には共通していると思います。たとえば征夷大将軍というのはそれ以前からある朝廷の官職ですが、頼朝によってまったく新しい意味が与えられました。同様にアウグストゥスプリンケプスインペラトルという従来からある官職を名乗りながら実質上は皇帝の権力を行使しました。



この巻では好敵手とでもいうべき興味深い人物のペアが多く登場します。源頼朝後白河法皇北条義時後鳥羽上皇親鸞道元などです。
私は後鳥羽上皇がこれほど強烈な人物だとは、この巻を読むまで知りませんでした。

後鳥羽上皇は(中略)多芸多能、一種の百科全書的人間であった。和歌はみずから新古今時代をリードする代表的歌人であり(中略)蹴鞠、管弦、囲碁、双六にもうちこみ、宮中の有職故実で通じないものとてはなかった。さらに、武芸百般、ことに相撲・水泳・競馬・流鏑馬・犬追物・笠懸などをこのみ、京都の内外にしばしば狩猟をもよおしたりもした。
 刀剣にも関心がふかく(中略)ときにはみずからこれを焼ききたえて、「御所焼の太刀」とよび、近臣や武士たちに与えた。


この強烈な個性の後鳥羽上皇が指揮する倒幕の企てに反撃して東国武士たちが勝利した承久の乱とはなんとあざやかに新時代を切り開いた事件だったことだろう、と認識をあらたにしました。まだ、書きたいことは残っていますが、時間が足りなくなったので、今日はここまでにします。