坤 六三

章(あや)を含みて貞にすべし。あるいは王事に従うも、成すことなくして終わり有り。

ご無沙汰しております。雑事に追われてなかなかブログに気力を割くことが出来ずにいました。


さて坤の六三ですが、章(あや)は文章のことらしいです。「章(あや)を含みて貞にすべし。」というと私には何だか「言い訳を考えておいて、おとなしくしていろ。」という風に解釈してしまいそうです。それでは言いすぎだとすると、「名文を用意して置きながら、行動は正しくせよ。」ぐらいでしょうか? 王事というのは、王から命ぜられた仕事、ということで、自分の身に引き付けて解釈するならば「重要な仕事」ぐらいでしょう。重要な仕事に従事することがあっても「成すことなくして終わり有り」? 自分の成果が現れずにその仕事が終わっちゃった? それでも「貞にすべし」、正しくしていろ、と。
それにしても占いで「貞にすべし」という言葉を使うのは占う側からしてみれば便利です。「正しく行動しなさい」って、それはどんな状況でも当てはまることじゃありませんか。忠告として「正しくせよ」というのと「正しくするな」というのと、どっちがもっともらしいかと言えば「正しくせよ」のほうでしょ? それに問題は往々にして「何が正しいのか」なのだし・・・・。
易には「貞にすべし」というような言葉がよく登場します。とはいえ、例外的に「正しくするな」という言葉が出てくるのを思い出しました。

苦節は貞(ただ)しくすべからず。(節)