古事記誕生
- 作者: 工藤隆
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/03/23
- メディア: 新書
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『古事記』の誕生を論じる第二の視点は“点”ではなく、712年以前の長期間にわたる「生成」の過程に力点を置いて把握する“線”としての誕生である。
たとえば・・・・・その(=源氏物語の)内容を分析するにあたっても、すでに『古事記』に始まる300年前後にわたる文字作品の累積があったので、それらとの対応関係を把握すれば、作品研究としてはかなり深い部分にまで到達できる。
しかし『古事記』の場合はそうはいかない。それは、縄文時代、弥生時代、古墳時代の約1万2000年間のムラ段階の無文字文化*1については現物資料が皆無なので、“古事記以前”の部分のヤマト語表現の層の把握がきわめて困難だからである。
私は著者が古事記の記述を(この本では例として「天の岩戸の神話」が取り上げられていました)、これはこの時代に属するもの、これはこの時代に属するもの、と歴史的な層を判別する方法が少し雑にみえました。しかし、著者が「天の岩戸の神話」の最古層と考えている、中国の長江流域の少数民族(ミャオ族、イ族、プーラン族)の太陽に関する神話の紹介が私にはとても面白かったです。特にイ族、プーラン族の神話とされるものの記述はその語り口がリズミカルで、これが古事記の天の岩戸の神話と関係があるのかどうかという興味とは別に、これ自体でおもしろいものに感じました。たとえばイ族の神話ですが、それによると太古、この世には太陽が6個、月が7個もあったとのことです。そのために地上は暑すぎて生き物は生きていくのが困難でした。そこで英雄チュクアロは太陽と月を弓で射落とす決心をします。
チュクアロがコノテガシワの梢に立って強い弓を引き、髷に挿し込んだ槍の柄のように長い矢を引き出して一本射た。聖なる矢はブンブンと音を立てて飛び、その音が道に響き渡ったが、その矢は太陽に当たったか、どうだ? その矢は太陽に当たった。もう一本射ると、聖なる矢はまっすぐ飛んで行き、その音が谷に響き渡ったが、その矢は月に当たったか、どうだ? その矢は月に当たった。
古老が孫たちに語るような語り口で、魅力的です。最後に残った1個の太陽と1個の月はチュクアロの矢を恐れて、東の地平線のかなたに隠れてしまい、この世は闇に閉ざされてしまいます。このあたりから古事記の天の岩戸の話に似てきます。
そのうち、雄鶏は東を見て翼をパンパンパンと3回広げ、大きな声で鳴いた。羽根がチーチーと音を立て、尾はまっすぐに伸びて、鳴きながら前に歩くと、出た、太陽がキラキラと輝いて出た、出た、月が堂々と立派に出た。
工藤隆『四川省大涼山イ族創生神話調査記録』
この語り口が優れているのは、これが著者自身が長江流域に行って採取した話だからのようです。さあ、この世界と古事記とがつながっているかどうか・・・・
*1:強調は私