カルヌントゥムのマルクス・アウレーリウス

カルヌントゥムはドナウ河沿いの古代ローマの都市。ドナウ河はローマ帝国の国境だったので、この都市は国境警備のために建てられた都市である。古代ローマの皇帝マルクス・アウレーリウスの自省録の第2巻の末尾には「カルヌントゥムにて」と書かれている。岩波文庫の「自省録」

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

には、神谷美恵子さんが註でカルヌントゥムのことを「現在のハンガリアのハインブルクに当る」と書かれているが、Wikipediaを見るとどうも、昔のカルヌントゥム、今のハインブルク、はオーストリアの都市らしい。今も国境の町であり、すぐ近くにスロバキアの首都ブラチスラヴァがある。ドナウ河の皇帝マルクス・アウレーリウスの自省録には、カルヌントゥムが以下のようにして登場する。

・・・・しからば我々を導きうるものはなんであろうか。一つ、ただ一つ、哲学である。・・・・またなにごともでたらめに行わず、なにごとも偽りや偽善を以てなさず、他人がなにをしようとしまいとかまわぬよう、あらゆる出来事や自己に与えられている分は、自分自身の由来するところと同じ所から来るものとして、喜んでこれを受け入れるよう、なににもまして死を安らかな心で待ち、これは各生物を構成する要素が解体するにすぎないものと見なすように保つことにある。もし個々のものが絶えず別のものに変化することが、これらの要素自体にとって少しも恐るべきことでないならば、なぜ我々が万物の変化と解体とを恐れようか。それは自然によることなのだ。自然によることには悪いことは一つもないのである。
          於カルヌントゥム


マルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子訳「自省録」より

中山さんが「クラウディオ・マグリス著『ドナウ ある川の伝記』」で紹介されていた「ドナウ ある川の伝記」

ドナウ ある川の伝記

ドナウ ある川の伝記

をやっと入手することが出来た。500ページを越えるこの大著を初めから読む前に、少しパラパラと拾い読みしてみた。この本がドナウにまつわる古今の逸話を取り上げているからにはきっと登場するだろうと予測していた、カルヌントゥムでのローマ皇帝マルクス・アウレーリウスのことが、ちゃんと取り上げられているかどうか、を確認したかったのだった。・・・・・やはりカルヌントゥムの記述はあった。それが思いもかけず、この稀有な人物を称える言葉だったので、不意打ちを食らったかたちで感銘を受けた。私には、この著者は世間の裏表を熟知し、どんな信条をも簡単には信じないようなふうに見えたのだが・・・。マグリスの以下の記述は、1800年以上前に記された自省録の言葉を、現代に生きる言葉によみがえらせるための鍵になるような記述に思えた。

彼は述べているが、魂はみずから形成する形象の色をおび、個人の価値は、それぞれが意味づけする事物とは切っても切れないつながりをもつ。おそらくこれは、一人の人間の本質が認識し、歴史と本性の鍵として認めた精神的ひらめきのもっとも重要なものの一つだろう。われわれはわれわれが信ずる、まさにその者であり、自分の精神に宿している神々、高貴もしくは迷妄の信仰は消し難いしるしを刻印する。特徴をしるしづけ、動作、行動を規定し、人間のありかた、生存そのものとなる。


クラウディオ・マグリス著、池内紀訳「ドナウ ある川の伝記」より