下山事件(シモヤマ・ケース) 森達也著

森達也氏は、オウムを扱ったドキュメンタリー映画「A」とその続編「A2」を自主制作して世に発表しています。私はそれらを見ていないですが、そのまた続編にあたる「A3」(こちらは週刊誌に連載されたドキュメンタリー)を読んで、その問題意識に興味を持ちました。この人は元々テレビディレクターだったのですが、オウムを扱った作品を作っていく過程で、マスコミ報道が視聴者の受けを狙うがためにそこから彼自身が重要と考える事実がこぼれ落ちていくことに耐えられなくなって、ついにフリーになっていった人でした。常にマスコミへの問題意識はありますが、かといってそれが極端な反発やマスコミ否定にはならず、手探りで方法を見つけようとしている姿勢に共感を覚えました。


著者が下山事件を調べ始めたのはこの本によればオウムの地下鉄サリン事件以前の1994年からで、むしろ、オウムの一連の作品のほうが、あの衝撃的な事件のために割り込んできたらしいです。下山事件にかかわるきっかけは、友人の映画監督井筒和幸氏から、下山事件についてある情報を持っている人を紹介されたことだそうです。その人は1956年生まれなので当然下山事件の時(1949年)には生まれていなかったのですが、その人の祖父の妹が、祖父の(つまり自分の兄の)十七回忌の後の食事の席でその人に「おまえのお祖父さんはあの事件の関係者なのよ」とつぶやいた、ということです。そこからその人自身の調査が始まっていくのですが、それに参加する形で著者が関わっていきます。最初それをTBSのドキュメンタリーにしようとするのですが、半世紀も前の事件であり、存命の人も少なくなっており、調査は難航します。やがてTBSからは番組制作を中止する決定が出されてしまいます。それから次は週間朝日との連携を図るのですが、それも途中で決裂してしまう、という過程が描かれています。この本のひとつの主題は下山事件そのものの解明ですが、それと並行して現代日本のマスコミの実情が描かれていてそちらも興味深いです。

私自身、ずっと若い時(1980年)にNHKの特集「空白の900分」で下山事件の奇怪さに(言葉は悪いですが)魅せられたことがあり、その後すぐに、元朝日新聞記者の矢田喜美雄氏の「謀殺 下山事件

を読んでますますこの事件の謎の深さを知ったことがあり、この森達也氏の本はおもしろくて、どんどん読み続けてあっという間に読み終えてしまいました。


結局、この本でも謎は解けていません。矢田喜美雄氏の「謀殺、下山事件」と同じく、当時日本を占領していた米軍あるいは諜報機関(そしてそれに協力していた日本のさまざまな組織)が限りなくあやしいのですが、はっきり誰がどういう役割を果たしたのか、というところまでは特定出来ません。この本で初めて知る事実もあります。それは「亜細亜産業」というかつてあった会社をめぐる事実なのですが、そこからの線による追求も、著者らの調査活動の間にも存命のキーマンが高齢のため亡くなっていて、真相はどんどん時の流れに埋もれていってしまうようです。かろうじて入手できた断片的な情報から組み立てられた構図は、やはり謎でしかありません。


この事件の秘密を死ぬまで守り通そうとした人々、その謎を解明しようとして一生を費やした人々、半世紀たった時点でもおびえてこの事件のことを語ろうとしない人々、さまざまな人々が登場します。推理小説ではないので謎は解明されないままです。
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「シゲさん*1からの年賀状に書いてあったからね。そのうち誰かが訪ねてくるんじゃないかと思っていたよ」
大原茂夫*2はそう言って、眼鏡のレンズ越しににこにこと笑う。
「年賀状?」
「ちょいと待っててくれ」
べらんめえ口調で言いながら、立ち上った大原は別室に消える。七十三歳とは思えない機敏な動作だ。(中略)
 五十年という月日は長い。当時の捜査関係者のほとんどは故人となっている。(中略)
「これだよこれ、シゲさんからの最後の年賀状だ」
そう言って大原が持ってきた斎藤からの年賀状には、「昨年またひとつの情報あり。そのうちご相談に参上します」と一行だけ、謹賀新年のあいさつ文の下にサインペンで書かれていた。

このあと著者たちは大原氏に、その情報を斎藤茂男に代わって説明する。

「イタゲンだろ?」
「はい?」
「俺たちはイタゲンって読んでいたよ、矢板玄。ライカビルの親玉だ。怪しいとは思っていたんだよ。いろいろ叩けば出そうだったんだ。」
そう一気にまくしたてた大原は、「シゲさんも同じことを言っていたよ」と小声でつぶやいてから天井を仰ぐ。
「みーんな、死んじゃうねえ」


下山事件(シモヤマ・ケース)」森達也著 より


そういえば、私は映画になった下山事件も見ていました。主人公は上記の元朝日新聞記者の矢田喜美雄氏です。
日本の熱い日々 謀殺・下山事件

*1:斎藤茂男:下山事件当時、共同通信社の記者。その後も下山事件を追及し続けたが1999年永眠。享年71歳

*2:下山事件当時、下山総裁は他殺されたと主張する警視庁捜査二課に所属