生物としての半導体工場

私は最初の職場から半導体工場の自動化に関わってきていて、会社を何回か変わっていますが、大きく言えば今もそれに関わる仕事をしています。私は、かなり若いころからコンピュータシステムと生物のアナロジーに心を惹かれていました。それは元はと言えばノーバート・ウィーナーのサイバネティックスに起源があったのだろうと思います。社会人になりたての頃、この本家本元の「サイバネティックス」という本を読むようになり、その中で以下のような文章に出会ってからこのアナロジーは私の中で不動のものになりました。

現在の超高速計算機は、原理上、自動制御装置の理想的な中枢神経系として使用できる。その入力と出力とは、数字や図形などである必要はなく、光電管や温度計のような人工感覚器官の読み、あるいはモーターやソレノイドの動作であってもよい。歪計や類似の装置を使ってこれら運動器官の動作を読み、また中枢制御系に報告、すなわち“フィードバックする”ことによって、人工の筋肉運動知覚を実現するとすれば、われわれはほとんどどのような精巧な動作でもなしうる機械を人工的に作製できる状態にある。


ウィーナー「サイバネティックス」の「序章」より

サイバネティックスは1948年に出版された本ですので、現在の目で読むと古臭いところもありますが、1948年に現在のオートメーション技術を予見した本の一つとして価値のあるものだと思います。


このアナロジーに依拠して私の経歴を述べるとしたら、こんなふうになります。
まず、私は半導体工場をひとつの生物に譬えます。

  • 1982年から2001年までは、半導体工場という生物の脳神経系の仕事をしてきました。
  • 2002年から現在までは、半導体工場の循環器系の仕事をしています。


ところで、1998年までいくつもの半導体工場の建設に参加しましたが、脳神経系を実装して調整する仕事は楽しかったです。工場がある程度、形になってくると、この巨大な生物の鼓動が聞こえてくるような気がしました。もちろんそれは私の勝手な想像なのですが、それでも、設置され生産出来るように調整中の各種の巨大な装置が、初めは個別に勝手勝手に動作していたのが、神経系と接続することによって、協同して、1つの工場として意味のある動きをし出すのを見ると、自分が巨大な生物の中にいるような気がしたものでした。