史記 貝塚茂樹著

図書館で目にして、著者の名前からして昔の本と思えるのに、こんな新しい装丁でなぜ、というところで不思議に思って借りてきましたが、これが正解でした。最初、著者が高名な学者なので、難しい本なのかなと思ったのですが(それに第一章の題名が「ある死刑囚にあたえる手紙」となっていたので重苦しい話かとも思いました)、読み進めていくとおもしろい話がつぎからつぎへと出てくるので、あっという間に読み終わりました。1963年初版の本なので比喩が古くて若い人にはピンとこない個所もありますが、それを除けばとてもおもしろい本です。今まで司馬遷史記を読んだことがなかったので(殷王朝と甲骨文字に興味があって「五帝本紀」と「夏本紀」と「殷本紀」の抜粋だけを読んだことがあります)史記がこんなにおもしろい本だとは知りませんでした。
この貝塚氏の本で一番印象に残ったのは(それはどうも元々の司馬遷史記でもそこがクライマックスらしいのですが)、項羽と劉邦のところ、その中でも「鴻門の会」で、危険を察知した項伯(項羽の叔父であるが劉邦に同情している)が劉邦をかばって剣舞を舞うところです。

翌朝沛公*1は、わずか十余騎を従えて楚の陣営*2をたずねた。これから有名な鴻門の会が始まる。
項羽に謁した劉邦は、うやうやしく、
「将軍は河北で戦い、私は河南で戦った。道は二つにわかれたので、はからずも私が先に関中に入って秦を滅ぼし、いまふたたび将軍の無事な姿にお会いできたのは、どんなに嬉しいかわかりません。ところが悪い家来が中傷して、あなたと私の仲を割こうとしているそうですが」
と言うと、項羽は、
「君の部下の曹無傷がつまらぬことを言ってきた。みな誤解だったことがわかった」
と答えて、もうすこしも気にとめていない様子で、「まあ一杯飲もうじゃないか」と酒宴をはじめた。

なにか打合せがしてあったのであろう、范増*3はしばしば項羽に目くばせしながら、手に持った玉をゆすって合図した。伏せておいた武者を劉邦におそいかからす合図でもあろう。范増は合図を三度くりかえして促したが、項羽は黙然として応じなかった。項羽は沛公*4の申し開きをきいて、彼の懐ろに飛び込んできた罪のない劉邦をひねり殺すような真似ができなかったのであろう。
范増はたまりかねて席をはずし、項羽の従弟の項荘を呼んで
項羽の君は人となりが憐み深く、押しきって物事のできる方ではないから、せっかくの計画がうまくゆかない。お前は席に入って沛公*5にお祝いの言葉を申し述べ、剣を抜いて舞い、沛公を突き殺せ。今日お前が失敗したら、あすお前たちは沛公の虜になるんだぞ」
と命じた。そこで項荘は酒宴の席に入り、劉邦にお祝いの言葉を言上し、
「軍中のこととて音楽もなく残念です。せめて私めに剣舞を舞わせて座興をそえさせていただきます」
と剣を抜いて舞いはじめた。気配を察した項伯*6は自分も剣を抜いて舞い、つねに身をもって劉邦をかばったので、項荘はどうしても劉邦を刺す隙が見つからない。

緊迫した描写はまだまだ続きますが長くなるので、はしょります。ここの個所の司馬遷の文章について著者はこう記します。

この鴻門の会について司馬遷は、一人一人の坐った場所から、問答、挙動の微細な点にいたるまで、事こまかに叙述している。中国の散文の古典で、これほど精密な描写を試みたものは他にはない。中国最初のリアリズム文学とみてよいであろう。

このような写実的な文章を書きあげたのは、まったく司馬遷の文学的才能によるといわねばならない。


この本ではこの他に、戦国時代に秦を中央集権国家に改造して、のちの秦による天下統一を準備した政治家商君、同じく戦国時代にその秦に対抗するために、六か国同盟を組織した蘇秦、有能の士を集めて養い、その力で外交に活躍した孟嘗君、有名な秦始皇帝、などを取り上げて紹介しています。膨大な「史記」のなかの読みどころを教えてくれる親切な本です。「史記」そのものも読んでみたくなりました。

*1:劉邦のこと

*2:項羽

*3:項羽の軍師

*4:劉邦

*5:劉邦

*6:項羽の叔父であるが劉邦に同情している