エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(17):サルディスへ

アリスタゴラスはペルシアへの反乱の意志を自分の仲間たちに打ち明けました。また彼は、ヒスティアイオスから来た指令についても明かしました。その仲間の中には歴史家ヘカタイオスもいたということです。他の者たちが皆、反乱に賛成する中でヘカタイオスだけは反対の意見を述べました。以前の世界旅行で得た知識を元に、ダレイオスの支配下にはどんな民族がいるのか、そしてそのそれぞれがどれほどの兵力を提供できるのか、を逐一述べて、その軍事力がいかに大きいのかを説明したのです。しかしアリスタゴラスは納得しません。ヘカタイオスは、ならば、どうしても反乱を起すというのであれば、と、別の案を述べました。ミレトスが戦う上では制海権を掌握することが重要である。しかしそのためには財源がいる。その財源を得るためにブランキダイの神殿の財宝を横領すべきだ、というものです。このブランキダイの神殿というのは、ミレトスの領内にあって神託で有名な神殿でした。その神殿の財宝の多くはかつてリュディア王クロイソスが奉納したもので、莫大な価値があったのです。しかしアリスタゴラスは奉納物を横領することに神の怒りを恐れたのか、この案も採用しませんでした。それでもアリスタゴラスとその仲間たちは反乱を決行することにし、ヘカタイオスから見れば無謀な戦争に突き進むことになりました。


アリスタゴラスはまず、先日ナクソス遠征から撤退してきたばかりの同盟軍の指揮官たち、つまりはペルシアに協力するイオニアの町々の僭主たちを捕らえました。次に、ミレトス人が進んで自分の謀反に加担してくるように、本心は別ながら、名目上は、ミレトスで僭主制を廃して万民同権の民主制を敷くことを宣言しました。そして、イオニアの他の町々についても民主制を確立すべく、さきほど捕えたイオニアの町々の僭主を、それぞれの町に引き渡しました。それらの町々は自分たちの元僭主を引き渡されても、例外はあるものの、大部分の町々は彼らを放免するに止めたということです。とにかくイオニアの諸都市で僭主制が廃止されました。これはなかなかうまい手でした。元々アリスタゴラスの利己的な思惑で計画された反乱が、この策動によって、僭主制を利用してイオニアを支配するペルシアに対する自由を求める民衆派の戦い、という大義名分を得ることになったのです。



次にアリスタゴラスが打った手は、ギリシア本土に強大な同盟国を見つけることでした。そのためにアリスタゴラスはまず、スパルタに向いました。スパルタでアリスタゴラスとスパルタ王クレオメネスは何日もの間会談したのですが、アリスタゴラスのもらした不用意な一言のために、援軍の要請はかなわぬことになりました。というのは、以下のようなことがあったからなのです。スパルタ王クレオメネスはアリスタゴラスに、イオニアの海岸を発ってペルシアの都スサまで行くのに、何日かかるか、と尋ねたのでした。それに対してアリスタゴラスは、うっかり、イオニアの海岸から都までの道程は三ヵ月を要すると、ありのままに答えてしまったのした。するとクレオメネスはその答えにあきれて
「ミレトスの客人よ、陽の沈む前にスパルタからお引きとり願いたい。」
と言ってアリスタゴラスの依頼を断ってしまったのです。


 しかたなくアリスタゴラスは今度はアテナイに向いました。アテナイはこのころには民主制になっていました。彼は民会に出席を求められ、彼がアテナイに依頼する援軍の内容を説明するように求められました。そして最終的にはアリスタゴラスはアテナイの民会の支持を得たのでした。このことについてヘロドトスは現代に生きる私たちをも、うならせるような、鋭い考察を記しています。

アリスタゴラスがスパルタのクレオメネスひとりをだますことができなかったのに、三万のアテナイ人を相手にしてそれに成功したことを思えば、一人を欺くよりも多数の人間をだます方が容易であるとみえる。


ヘロドトス著「歴史」巻5、97 から


さて、アテナイ人はアリスタゴラスに説き伏せられて、軍船20隻をイオニア人の援軍として派遣することを議決しました。ここでヘロドトスはもうひとつ重要なことを記しています。

この艦隊派遣がギリシアとペルシアにとって不幸な事件の発端となったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、97 から

このイオニアの反乱をきっかけにしてやがてギリシア本土とペルシア王国との間に、世に名高いペルシア戦争が起るのですが、それに勝利したギリシア側にいるヘロドトスがこの戦争のことをギリシアとペルシアにとって不幸な事件」と捉えていたというのが、なかなか含蓄が深いです。



さて、アリスタゴラスの許へは、アテナイ軍が20隻の艦隊と、それからアテナイの近くに位置するエウボイア島の町エレトリアの派遣した三段櫂船5隻を伴って到着しました。他の同盟軍も到着すると、アリスタゴラスはただちにサルディスへの進撃を命じました。イオニア軍はエペソスに着くと大挙上陸し、エペソス人を道案内としてサルディスに進撃しました。そして何の抵抗も受けずにサルディスを占領し、そのアクロポリス(小高い中心部)以外の全市を制圧しました。アクロポリスにはサルディス総督アルタプレネスが、少なからぬ手兵を率いて防備していました。アルタプレネスは最初からサルディスのアクロポリスに立て篭もる作戦を立てていたのでした。BC498年の出来事でした。