エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(18):サルディスとエペソスでの戦い

何の抵抗も受けずにサルディスを占領したイオニア軍とアテナイ軍でしたが、

兵隊の一人が一軒の家に火を附けたところ、火は忽ち家から家へ移り、町全体が猛火に包まれてしまった。町の燃えている中に、リュディア人および町にいたペルシア人はことごとく、四方を火に囲まれ、町の外郭が火に包まれているので町の外へ逃れる退路を立たれて(中略)否応なく抵抗せざるを得ない羽目に追い込まれたのである。イオニア軍は、敵が反撃の態勢をとり、また別に有力な部隊が進撃してくるのを見ると、恐れをなしてトモロスと呼ばれる山の方に退却し、さらに夜陰に乗じて船に引き上げた。


ヘロドトス著「歴史」巻5、101 から


ということでサルディスを攻め切れずに、退却します。この大火事でサルディスで崇拝されていたキュベベの神殿も同時に焼け落ちてしまいました。ギリシア人は故意に焼いたのではなかったのですが、このことがのちにペルシア軍がギリシアの諸神殿を焼く口実になってしまいました。
さてこの時、サルディスの比較的近くにいたペルシア人が救援にかけつけました。サルディスに到着するとすでにイオニア軍の姿がなかったので、そのあとを追い、エペソスでイオニア軍に追いつきました。イオニア軍はペルシア軍を迎え撃ちましたが、惨敗を喫しました。多数の者が戦死し、この戦闘に生き残った者は、四散して思い思いに国へ帰ってしまいました。アテナイ軍はこの敗北をみて帰国し、以後、アテナイイオニアを支援をすることをやめてしまいました。一方アリスタゴラスはといいますと、彼は最初からこの遠征軍には参加しておらず、ミレトスにおりました。一旦行動に出たアリスタゴラスはあとに引くわけにはいきません。ヘルシアに対する反乱を続行します。

その後アテナイイオニアをすっかり見放して、アリスタゴラスがしきりに使者を送って援助を乞うたけれども、もはや救援することを肯(がえん)じなかった。こうしてイオニアアテナイとの同盟関係を喪失したのであるが、すでにダレイオスに対して右のような行動に出てしまった以上、今更退くことはできず、ペルシア王に対する戦争の準備の手をゆるめることはなかった。ヘレスポントスに艦隊を派遣し、ビザンティオンはじめ、この地方の町をすべて支配下におさめ、ついでヘレスポントスを出て、カリアの大部分を同盟国とするのに成功した。


ヘロドトス著「歴史」巻5、103 から


サルディスがアテナイイオニアの連合軍によって占領され焼け落ちたことや、この計画を企んだ張本人が、ミレトスのアリスタゴラスであったことなどがダレイオス王に報告されました。ダレイオス王にとってアテナイ人とは初めて聞く名前でした。このことがダレイオス王にアテナイへの復讐を決心させることになり、このことがのちのペルシア戦争につながっていくのです。
それはさておき、ミレトス関連で話を進めますと、ダレイオスは、多年にわたってスサに留めておいたミレトス人ヒスティアイオスを呼び出して、こう言ったのでした。
「ヒスティアイオスよ、そなたがミレトスの統治を託したそなたの代行者が、わしに向って謀反を起したという知らせをうけた。この男はわしからサルディスを奪ったのじゃ。イオニア人めの所業は必ず罰してやるが、そもそもこのようなことが、そなたの入れ知恵なしに、どうして起り得ただろうか。とどのつまり、その咎がそなたの身にかかってこぬよう、せいぜい気をつけるのだな。」
 王のこの言葉に対して、ヒスティアイオスが答えていうには、
「王よ、何ということを仰せられます。この私が、事の大小は問わず御心を悩ますもとになるようなことを企てたと申されますのか。この私が一体何が不足で、また何を目当てに、そのようなことをいたすとお考えになりますか。
ミレトス人と私の代行者が、王様のお国に対して謀反を企てたという話を、私は決して信じませんが、万一お耳に入りました事が真実で、彼らが実際さようなことをいたしたとしますれば、王よ、そもそも私を沿岸地方から引き離してしまわれたあなたのなされ方が、どういう意味をもつものであったかが、今お判りでございましょう。もし私がイオニアにおりましたならば、一つの町といえども蠢動しなかったに相違ありません。
そこで、私はかの地の秩序を元どおりに回復し、このような騒擾を企みましたミレトスの私の代行者を王様にお引き渡しいたしたいと存じますから、どうか私を一刻も早くイオニアへ赴かせて頂きとうございます。」
ダレイオスはヒスティアイオスのこれらの言葉を信じ、約束のことを成し遂げたならば、再びスサの自分の許に帰ってこいと言い付けて、彼をイオニアに行かせたのでした。