エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(書き残したこと2):ディデュマ(1)





ディデュマのアポロンの神殿の遺跡


(17):サルディスへ」で、私は以下のようなことを書きました。

ヘカタイオスは、ならば、どうしても反乱を起すというのであれば、と、別の案を述べました。ミレトスが戦う上では制海権を掌握することが重要である。しかしそのためには財源がいる。その財源を得るためにブランキダイの神殿の財宝を横領すべきだ、というものです。このブランキダイの神殿というのは、ミレトスの領内にあって神託で有名な神殿でした。その神殿の財宝の多くはかつてリュディア王クロイソスが奉納したもので、莫大な価値があったのです。


これを書いたときは私はどれほど「莫大な価値があった」のか、よく理解しておりませんでした。おくればせならがこの点を補足したいと思います。ヘロドトスはその著作「歴史」の中で一貫してブランキダイという名前を用いていますが、この神殿の本当の名前はディデュマと言います。ブランキダイというのは、このディデュマの神官を務める家系の名前で、ブランコスの裔という意味です。ブランキダイ家とでも訳すべき言葉でしょう。
 さてヘロドトスはブランキダイ(ディデュマ)の財宝の詳細については直接述べておらず、

ミレトス地区のブランキダイにクロイソスの納めた品々は、私の聞いたところでは、デルポイのそれと重量においても匹敵し、品種も似たものであるという。


ヘロドトス著「歴史」巻1、92 から

としか書いていません。そこでリュディア王クロイソスがデルポイに奉納した品々の記述を探してみると、以下のように書かれていました。

莫大な量の黄金を鋳つぶして、それで縦6パラステ、横3パラステ、高さ1パラステの金の煉瓦117個を作らせた。その内4個は純金で一個の重さが2タラントン半あり、残りは金と銀の合金で、重さは2タラントン半あった。彼はまた純金製で重さ10タラントンの獅子の像を作らせた。(中略)黄金製および銀製の2個の巨大な混酒器を奉納したが(中略)黄金製の方は(中略)重量は8タラントン半と12ムナあり、銀製の方は(中略)600アンポレウスの容量がある。(中略)クロイソスは更に4個の銀製の甕を送った(中略)また黄金製および銀製の聖水盤を奉納し(中略)。
 右のほか、特に一々挙げる程でもない多数の品をクロイソスは奉納したが、その中では円型の銀の鋳物や、3ペキュスの高さの黄金の婦人像が特筆に価しよう。


ヘロドトス著「歴史」巻1、50〜51 から



当時の長さや重さの単位が出てきて現代に換算するとどれほどなのかピンときません。そこでウィキペディアで「タラントン」について調べたところ、

また、金の重さの単位として使われ、「人の重さ程度(おおむね50キログラム程度)」とされるが、正確には33キログラム程度とする説もある。

とあってびっくりしました。1タラントン=33kgだとしてもたいした量の金だと思います。金の比重を考えて計算すると、12cm立方ぐらいでしょうか? なるほどヘカタイオスが横領を勧めるはずです。さて、このブランキダイの財宝ですが、英語版のWikipediaの「Didyma」の項を読んだところ

ブランキダイは、ダレイオスのペルシア人たちによって追放され、ペルシア人たちはBC493年に神殿を焼き、伝統的にBC6世紀のシキュオンのカナコス作とされる青銅のアポロンの像をエクバタナに持ち去った。泉は枯れ、それが報告され、古代の神託所は沈黙した。デルポイとエペソスの聖域は迅速に再建されたが、ディデュマはBC334年に復旧の最初の段階が行われるまで荒廃したままであった。
(The Branchidae were expelled by Darius' Persians, who burned the temple in 493 BC and carried away to Ecbatana the archaic bronze statue of Apollo, traditionally attributed to Canachus of Sicyon in the 6th century; the spring dried up, it was reported, and the archaic oracle was silenced. Though the sanctuaries of Delphi and Ephesus were swiftly rebuilt, Didyma remained a ruin until the first steps of restoration were undertaken in 334 BC.)

とあるので、イオニアの反乱の失敗によってペルシア側に略奪されたようです。ヘカタイオスの言うようにミレトス側がこの財宝を確保していれば、と思います。ヘカタイオスにとっては残念な成り行きだったことでしょう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8c/Didyma%2C_ruiny_miasta_na_wschodnim_wybrzezu_morza_egejskiego%2C.JPG
ヘロドトスはディデュマについて「きわめて古い創設にかかる神託所(歴史、巻1、157)」と述べています。とても気になる記述です。これは神アポロンの神託所でした。ちょうどデルポイと同じように、イオニアにもアポロンの神託所があったわけです。それにしても、ギリシア人ではないリュディア王クロイソスが上に示したようにディデュマに対して厚い信仰をを抱いている、というのも不思議な気がします。ヘロドトスはリュディア王クロイソスだけでなく、エジプト王ネコスも「シリアの大都市ガデュティス(ガザ)を占領した」ときに「身につけていた衣装を、ミレトスのブランキダイへ送り、アポロンに奉納した」と述べています。このようにディデュマが国や民族を越えて崇拝されているというのは、どういうわけなのでしょうか? 非常に興味あります。これに関係するのかよくわかりませんが、ホメロス風讃歌の中のアポロンへの讃歌には、このような詩行があります。

神よ、あなたはリュキエーと、美しいメーイオニエーと、海の真中にあり人を惹きつける町ミーレートスをも治める・・・・


「四つのギリシャ神話」の中の「アポローンへの讃歌」より

四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤 102-6)

四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤 102-6)

この詩行からも察することが出来るように、ミレトスはアポロン崇拝の中心地のひとつでした。このことも興味深いですが、「メーイオニエー」というのはおそらくマイオニアイオニア語形で、マイオニアというのはヘロドトスによればリュディアの古名だそうです。アポロンの崇拝がリュディアにも拡がっていたことがうかがわれます。